2004年12月20日(月) |
供養とは・・・その3 |
供養についてのお話も、取りあえず今回で完結となります。
2回に分けて皆様にお話したダイアリーを読み返し、基本的なことを お伝えするのを忘れていた・・・という事に気が付きました。
今からもう何年も前に、実際に私が頂いた質問ですが・・・ 「ご先祖様というのは、子孫である私たちを守って下さるものなのに どうして、障りを起こして私達を大変な目に遭わせるのですか?」 という、何とも自分勝手な、ビックリする質問をされた事があります。
これは、世間で信じられている迷信のようなものだと思いますが・・・ 「ご先祖様は無条件に子孫を守るものだ」これは、先日お話した『良くなりたいからお経をあげる・仏壇をお守りする』という事に繋がる考え方だと思います。 確かに自分の子孫を憎いと心から念じる人はおられません。しかしご先祖様が、困っている子孫をいくら何とかしてやりたいと思っても、今にも自分が溺れそうな状態なのに子孫を助ける事はまず出来ません。亡くなった方にそのような『力』を期待するのはとても酷いことなのです。 亡くなられた方が精一杯の力で出来るのは「このまま行ったら危険だ」と警告する事ぐらいなのです。それを「障り」と受け取るのか「有難い忠告」と受け取るのか、そしてその警告をどの様に生かすのかは、”子孫である私達”次第ではないでしょうか・・・
最後に・・・では供養が進み始めるとどの様な事が私達におこってくるのでしょうか? 供養(先祖供養だけではなく水子供養などもそうですが)がある程度届き始めると、「今まで最後の最後にどんでん返しで話が悪くひっくり返えるばかりだった」「何かにつけ悪い方悪い方に物事が進んでしまう」「全く運に見放されたようだ」「男の子が全く生まれない家系だ」「とても重い霊障」「原因不明な体の不調」・・・などが改善されたという声を確かに多く頂いております。
しかし、これはあくまでも供養の副産物的に考えて頂きたい・・・というのが私の願いです。 それよりも、目を見張るほど結果に現れる事・・・ それは『精神的に落ち着いた自分』と出会える事なのです。 これに関する実感は、極密祈祷をなさっている皆様が一番よくお解りになっておられると思います。
お盆やお彼岸の時期にご先祖様の事を偲ぶのはもちろんですが、 毎日無事に過ごせることをご先祖様に感謝する『想い』がとても大切です。
私共のサイトを通じて少しでも、 仏教に親しみやご縁を感じてくださいましたら、 『供養』について考えて頂けますように・・と 心から願います・・・
杏珠
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