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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年11月05日(金) 「幸せの価値観」


AYAダイアリーを続けて訪問くださっている皆様、はじめまして
(とは言っても11月2日より、こちらのHPを管理させて頂いて
おります)杏珠と申します。AYAさんの結婚に伴い、こちらから
「卒業」なさった彼女の代わりに、拙い文章ではございますが、
私が携わせて頂く事になります。どうぞ、よろしくお願い致します。

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私が毎週日曜日に必ず目を通す、新聞の特集記事があります。
この東海地方の地方新聞の中の、とある記事なのですが、
『人は生きた』という、ごくごく普通の(有名ではない)方々が
生前によく口されていた言葉や考え方、または、最後に口に
された言葉を、遺された御家族が書かれた原稿をもとに、
書かれている記事、、、。その中でも、私がとても胸を打たれた
記事について、今日はお伝えしようと思います。

それは今から何年か前の記事でした、、、(もしかしたら、細かい
部分で内容が間違っているかもしれません。)

投稿者は亡くなられた小学校低学年の男の子のお母様でした。
その元気な男の子がある日、体の不調を訴えました、、、
病院とは全く縁のなかったその男の子に、医師の告げた病名は
骨肉腫だったのです。

その日から入退院と何度にも及ぶオペ、、、手術する度に体の
一部の自由がどんどん奪われる我が子を見て、お母様は
“あぁ・・・足が動かなくなってしまったら、この子はもう走る事が
できない” “右手が使うことができなければ、この子は鉛筆も
持てない”と、心の中でいつもいつも涙を流していたのです。

ところが、その男の子は入退院の間に小学校に通い、片足が
無くなってしまったハンディをものともせず、運動会にも出たのです。

彼の口ぐせは「まだ口があるから、お母さんと話ができて嬉しい。」
「左手が残ったから、おいしいご飯は食べられる。」

自分が無くしてしまったものを数え、そこにばかりとらわれるお母様と
今、自分に残されたものがあるから、まだ自分はこんなにも幸せだと
感じられる彼・・・

その息子さんは亡くなる前、もうろうとした意識の中、
「病気になったおかげでお母さんをひとり占めできちゃった。今まで
ありがとうお母さん。」という言葉を、最後に残しました。

お母様は息子さんが亡くなられた後、心から自分の考えを悔いたそうです。

人間にとって、一体何が本当の幸せなのでしょう・・・
今の自分を取り巻く環境・家族・友人・・・そのどれもがとてもかけがえのない物だとは考えたことは、どなたもあるでしょう。
でも、そこにこだわりを持ったとたんに逆に無くなる事を恐れ、貴方の不安を生み出す原因にもなってしまいませんか?

在ることに対して、状況に対して・・・感謝をするけれど、それについて囚われない・・・というスタンスで居て欲しいのです。

『なくして初めてわかる当たり前・・・』六明師がよく口にされる言葉
なのですが、この記事をお読みになって、皆様に一度考えて頂けたら
・・・と切に願います。 


              杏珠


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