AYAダイアリーを続けて訪問くださっている皆様、はじめまして (とは言っても11月2日より、こちらのHPを管理させて頂いて おります)杏珠と申します。AYAさんの結婚に伴い、こちらから 「卒業」なさった彼女の代わりに、拙い文章ではございますが、 私が携わせて頂く事になります。どうぞ、よろしくお願い致します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私が毎週日曜日に必ず目を通す、新聞の特集記事があります。 この東海地方の地方新聞の中の、とある記事なのですが、 『人は生きた』という、ごくごく普通の(有名ではない)方々が 生前によく口されていた言葉や考え方、または、最後に口に された言葉を、遺された御家族が書かれた原稿をもとに、 書かれている記事、、、。その中でも、私がとても胸を打たれた 記事について、今日はお伝えしようと思います。 それは今から何年か前の記事でした、、、(もしかしたら、細かい 部分で内容が間違っているかもしれません。)
投稿者は亡くなられた小学校低学年の男の子のお母様でした。 その元気な男の子がある日、体の不調を訴えました、、、 病院とは全く縁のなかったその男の子に、医師の告げた病名は 骨肉腫だったのです。
その日から入退院と何度にも及ぶオペ、、、手術する度に体の 一部の自由がどんどん奪われる我が子を見て、お母様は “あぁ・・・足が動かなくなってしまったら、この子はもう走る事が できない” “右手が使うことができなければ、この子は鉛筆も 持てない”と、心の中でいつもいつも涙を流していたのです。 ところが、その男の子は入退院の間に小学校に通い、片足が 無くなってしまったハンディをものともせず、運動会にも出たのです。
彼の口ぐせは「まだ口があるから、お母さんと話ができて嬉しい。」 「左手が残ったから、おいしいご飯は食べられる。」
自分が無くしてしまったものを数え、そこにばかりとらわれるお母様と 今、自分に残されたものがあるから、まだ自分はこんなにも幸せだと 感じられる彼・・・
その息子さんは亡くなる前、もうろうとした意識の中、 「病気になったおかげでお母さんをひとり占めできちゃった。今まで ありがとうお母さん。」という言葉を、最後に残しました。
お母様は息子さんが亡くなられた後、心から自分の考えを悔いたそうです。
人間にとって、一体何が本当の幸せなのでしょう・・・ 今の自分を取り巻く環境・家族・友人・・・そのどれもがとてもかけがえのない物だとは考えたことは、どなたもあるでしょう。 でも、そこにこだわりを持ったとたんに逆に無くなる事を恐れ、貴方の不安を生み出す原因にもなってしまいませんか?
在ることに対して、状況に対して・・・感謝をするけれど、それについて囚われない・・・というスタンスで居て欲しいのです。 『なくして初めてわかる当たり前・・・』六明師がよく口にされる言葉 なのですが、この記事をお読みになって、皆様に一度考えて頂けたら ・・・と切に願います。
杏珠
|