2004年09月27日(月) |
私の大切な『ご縁』・・(貴方への感謝を込めて) |
お久しぶりです。 みなさんに、早くお礼が言いたくて、 お逢いしたくて、私はうずうずしていました。 大変長らく、お待たせ致しました。
前回の日記の中で、表面の私の現在の気持ちを正直に申し上げました。 多くの方から、心温まる励ましのお言葉や激励のお言葉、 ひいては、涙してしまうほどの心洗わすお言葉を頂きました。
本当に、心から喜び、感謝と感動の嵐でした。 「AYA宝箱」にも、早速掲載させて頂きました。
心からお礼、申し上げます。 本当に、本当にありがとうございました。 厚く感謝の念を込め、みなさんにお送り致します。 もう、私は大丈夫です。 新たな目標を見つけ、そこに邁進していく所存です。 本当に、ありがとうございました。
早速ですが、本日より、 みなさんからのご希望通り、何回かに分けて 『ご縁』という事をテーマに、この場をお借りしお伝えしたいと思います。 毎日という訳にはいきませんが、もう間を空けることはありません。 どうか、ご安心下さい。
さぁ、何からお話致しましょう。 多くの方々が、一番知りたい事は、 恋愛での『ご縁』・・ソウルメイトについてではないでしょうか。 過去の日記の中でも、 ソウルメイトという題でお話した所、ものすごい反響がありました。 又、現在も励ましのお言葉と共に、 『ご縁』についてのご質問も、相次いで頂いております。
まず、『ご縁』とは何か・・を知らなければなりません。 ご縁という言葉は、 「因縁(いんねん)」や「縁起(えんぎ)」という 仏教用語、仏教の思想に基ずいて生まれた言葉です。
「縁と浮世は、末を待て・・・」 「縁なき衆生は、度し難し・・」 「縁の眼には、霧が降る・・・」 「縁は、異なもの味なもの・・」
等など、 『ご縁』については、数々のことわざが故人より残されています。
私は、本当にごく普通の人間ですから、 私のような者が仏教思想について、お話する事はできません。 そんな事は、到底不可能です。 正直言って、お手上げです。
ですから、今回のテーマを深くお話する前に、 私の人生における『ご縁』を題材にして、 ありのままの私の姿を含め、お伝えしていきたいと考えています。
まず、私は、日記の冒頭の言葉にもあるように、 ユタの家系の流れとして、霊的な事に敏感に反応し、 医療従事者としての本業以外に、 鑑定者として、何人もの方々の人生を垣間視てきました。
前回の日記の中でも申し上げましたが、 ユタの私は、一切、表面の私の人生については何の言葉もくれません。 いくら泣いても、叫んでも、いつでもじっと眺めているだけです。
決して、私は、 みなさんが考えているような強い人間ではありません。 本当に弱い、脆い人間です。 常に、周りの人々の心の奥深くの光を視て、 「あのような人になりたい・・」と願っているのです。
表面の私の心・・ 子供の頃から、ユタの私を嫌い、否定して生きてきた私。 この私の心を理解できる人間なんていない・・ 誰にも理解されない・・常に、そう思っていました。 本当に、本当に一人ぼっち・・私は、家族といても、孤独でした。
そんな私に「ご縁」というものが訪れたのです。 そうです。 六明師との出逢いです。 この出逢いが無ければ、今の私は存在していません。 私は、間違いなく、 人生を投げ捨て、この世には存在していなかったでしょう。
私にとってのこの「ご縁」は、 命にも変え難い程の、かけがえのないものです。 言葉では、言い表す事が出来ないほどの価値ある、尊大な事です。 私にとっては、 ソウルメイト、人生の伴侶と出逢うという事よりも、意味ある事なのです。
ですから、 『ご縁』という事を深く掘り下げる前にこの縁についてお話させて下さい。 私はこれまで、 六明師との出逢いを詳細にはお伝えしてきませんでした。
ここで、正直に、全てをお話致します。
私は、何年か前の冬・・もう随分前の事です。 年の暮れの慌しい中・・ 単独の交通事故を起こし、脳に後遺症の残る重い外傷を受けました。 過去の日記にも書きましたが、 主治医からは、医療従事者としての復帰は無理だと断言されていました。 その頃の私は、毎日、毎日、死ばかりを視つめていました。
しかし、ありがたい事に、 その頃の私には、悩みを打ち明け、相談ができる唯一の女性がいました。 その女性は、霊的な力を子供の頃から兼ね備え、 それを私の様に否定するのではなく、 ありのままの自然の流れとして、受け取っている方でした。 私に鑑定者としての道を視せて下さったのも、実はその方なのです。 その女性が六明師との「ご縁」を私に授けて下さったのです。
その女性のお名前は、杏珠(あんじゅ)先生。 杏珠先生は、 六明師の側近中の側近、最も近い場所にいらっしゃる方です。
六明師には、何人もの側近の方、お弟子さんがいらっしゃいます。 六明師は、本当に高名な方で、ごく普通にお逢いする事は困難です。 私の知る所では、 毎朝、日も明けぬうちからの水行を初め、 御祈祷、ご供養、性根入れ、御炊き上げ、無償での葬儀、 又、在家信者の仏事の執り行い、等など大変に多忙を極めた方です。
杏珠先生は、 常に、六明師のお側にいる方と申し上げてもよいかと思います。 実は、 これまでの鑑定や相談者の方々への霊的なご質問に関して、 ユタの私の声が、表面の私の迷いによって届かない時など、 常に、この杏珠先生に助けて頂いていたのです。
この告白をお聴きになられて、 がっかりされた方もいらっしゃるかもしれません。 本当に、ごめんなさい。
過去の日記で、何度も申し上げましたが、 ユタの私の霊力は、決して、万能ではありません。 霊的な障りがとても強い鑑定などは、 表面の私が惑わされ、ユタの声に集中できない事があるのです。
そのような時は、杏珠先生に指示を仰いでおりました。 霊力に関しては、ものすごく力のある方です。 けれど、とてもとても謙虚な方です。 今回、やっと、ご本人から 許可を頂きましたので、この場をお借りしご紹介させて頂きました。 今後の相談者の方々へのお答えの中には、 杏珠先生からのお言葉と ユタの私からの言葉と二つの面から、明確にお答えする事ができます。
杏珠先生との「ご縁」は、 密教僧侶の六明師との「ご縁」に繋がりました。
『ご縁』という視えない流れは、 常に、一人の方との出逢いを対象としているのではないのです。
現在「良縁成就」という御祈祷をされている相談者の方が、 何人かいらっしゃいますが、 どうしても、人との新しい出逢いにおいて、 「この人が伴侶なのか」の気持ちを持って望んでしまいがちです。
本当は、その出逢いの後ろに、 ソウルメイトとの出逢いが隠されているかもしれない・・・。 道行く、すれ違っただけのお年寄りに親切にしたら、 実は、その人の親類が ソウルメイトだった・・というお話は、世間によくある事実です。
「この人も違う・・あの人も違う・・」と感じている間に、 その後ろにいる、本物の出逢いを逃します。
ユタの私は、 幾つもの出逢いには、必ず意味がある・・と声にします。
杏珠先生は、 ソウルメイトは、人生において、必ず存在する・・と仰います。
そして、六明師は、 強い善い光を保つ事ができなければ、ご縁は得られない・・と仰います。
先程、ご紹介させて頂いたことわざ・・「縁と浮世は、末を待て・・・」 このことわざは、 良縁とチャンスは、時節が来るのを待つべきもので、 自分から焦って求めてもうまくいかない・・という意味です。
『ご縁』というものには、悪縁と良縁と二つの言葉があります。 次回は、過去の相談者の方に、実際に起った出来事をお話致します。
杏珠先生との出逢いによって、鑑定者としての道を視る事ができました。 六明師との出逢いによって、ユタの私が育ち、仏道を志す事ができました。 そして、 こうして、何人もの人々との出逢い、ご縁を授かる事ができました。
貴方とのこの出逢いも、 六明師や杏珠先生がいてくれたからこそ・・・。
多くの方に励まされ、新たな目標を得た今の私は、 貴方とのご縁を授けて下さった、 この『ご縁』について、どうしても、お話したかったのです。
全ての相談者の方々、私に暖かいお言葉、情報を下さった方々、 全ての方に言いたい・・・。
貴方に逢えて、本当に、本当に良かった。 貴方と巡り会えて、本当に、本当に良かった。 顔も知らない貴方だけど、 貴方と深く、深く繋がっている事を感じています。
表面の私は、貴方に助けて頂きました。 貴方に、救われたのです。 貴方に、何度でも感謝の心を送りたい・・。 貴方と共に、真の幸せの道を歩みたい・・・。
貴方の真の幸せを常に、何度でも願います。
貴方の明日が又、良き『ご縁』の中にありますように。 心から、心を込めて。 貴方に、多くの幸ある『ご縁』が訪れますように。
−AYA−
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