2004年07月28日(水) |
神障り・・過去の実話 |
昭和の後半、享年40才前半にて、その男性は他界致しました。 男性には、何人もの幼い子供達がいて・・ 彼の家庭は、常に貧乏のどん底の生活の中にありました。 電気、水道は切られ、生活はままならない状態でした。
原因は、彼が10数年間も酒に溺れてしまったからでした。 酒に溺れた理由・・ それは、最愛の長男を亡くした事・・その苦しみでした。 彼は、その苦しみ、辛さ、哀しみ・・ 全ての大きな暗闇を、乗り越える事ができなかった・・。 その苦しみ、悲しみに終わりはなく・・ 今生の全ては、苦のみ・・となりました。
人様のために・・という心は、小さく・・ いつも、何らかのトラブルと災いの中、暗闇を抱え・・ 「何故、自分がこんな目にあうんだ・・」それが彼の思いでした。
過去の流れの中では、家系の因縁から、 神仏に守られ、繁栄している時代も、彼には、確かにありました。
彼は、口癖のように、子供達にこう言っていました。 「時代が、時代なら、殿様のような生活をする事ができたはずだ」 「働かなくても、食う事ができる家系なんだ・・」
彼は、神仏のお力をお借りする方法を知っていたのです。 視えない力、宇宙の説明のつかない力、大いなる力、神仏、 それらが、全てを創っている・・という事を知っていました。
住んでいる土地のどこが、聖域であるかも知っていました。 神仏のお力、御先祖様を敬う心は、強くありましたが、 それは、いつでも「苦しい時の神頼み・・」と呼ばれるもの・・。
そして、彼はこの世界から別の世界へと旅立ちました。
沖縄には、カミダーリィ(沖縄の方言)という言葉があります。 これは、神障りを意味する言葉です。
他界した彼は、沖縄のユタの家系の流れを汲む者でした。 ユタという者は、己の為だけに生きようとすると必ず災いを招きます。 神様の怒り、戒め・・をかうのです。 これが、神障りです。
相談者の方の実話をここに記載する事は、簡単です。 けれど、 それをご家族の身になって考えると、私はいてもたってもいられません。
神障りのご祈祷をされる方は、 殆どの場合、ご本人からのお申し込みではありません。 願主となるのは、ご家族の中でも最も神仏に近い方です。
神障りが起ると、本人には全くの自覚がありません。 自分の心の中、何が悪いのか・・ それを、知ろうとはしません。 全く、己を省みる事をしません。反省というものが無いのです。
全てを環境や人のせい・・だと考え、神仏に対しても恨みを抱きます。
何故、 私が厳しく、信仰心の無い方は入らないで下さい・・と申し上げたのか、
視えざる世界を信じない方は、現代の科学教と呼ばれる考え方で、 神仏に対しての挑戦とも呼べる、悪しき行いをします。
「本当に神罰が下るか、試してみようじゃないか!」 悪しき思いを持った者は、すぐにそう考えます。
私は、人々の幸せを願い、全ての人が本当の幸せを掴み取る為に、 ここに、存在しているのです。 どんな人にでも、幸せの道を歩んで欲しいのです。 これ以上の悪しき行い・・悪業を積んで欲しくないのです。
私が、何故、あんなにも恐ろしい・・と言ったのか、 私は、神障りの恐ろしさを実際の経験として持っています。
実は・・・この男性を私は、身近な者として知っています。 この男性は、・・私の父親だからです。
悲しかったあの頃・・全てを覚えています。 父が、大好きでした・・そして、父を憎んでいました・・ けれど、 私は、いつでも、酒を飲む、父親のあぐらに座り・・ ・・・はしゃいでいました。 私が、はしゃぎ、父を笑わせれば、父は酒を飲む手をとめます。 子供ながらに、父の悲しさ、辛さ、苦しさを知っていた私は、 父に、飲む事をやめて!とは、言えなかった・・。
私は、今でもあの頃の父親をありありと思い出す事ができます。 私が、己の為だけに生きる・・すぐにでも、父の様になるでしょう。
これは、 決して、ユタの家系に生まれた者だけの事ではありません。 他の方も、皆、同じです。
苦しい時だけ、真剣に神様にお願いをし、 自分が楽になった時には、何の感謝の気持ちも無い・・ 厳しく、申し上げますが、相談者の方の中にもいらっしゃいます。
年初めに、貴方は、神社に行かれるのではないですか? 神様を敬う心を持たず、信仰心も無く、ただ、祈るだけ・・ 果たして、神様は貴方の願いを叶えるでしょうか。 「神頼みなんて、効果が無い・・嘘で、ただの迷信・・」 そう、お考えですか?
ただの迷信・・ただの自己暗示・・と考えている方。 初詣には、人が、大勢います。 有名な名のある神社ほど、人が多く押し寄せます。 トイレも満員で、長い列を作っています。
人の波で、気分はイライラする・・ いつもの様に、唾を吐く・・ トイレには行きたい・・子供も「おしっこしたい」と泣いている。 「しょうがない・・」と言って、 貴方は子供を神社の神木の陰に連れて行く・・そこで用をたす。
今生の過去において、 その様な行いをした方の現在の状態を、私は、知っています。 当たり前に、神罰として神様からの障りを受けています。 ユタの私は・・全て、自業自得・・と声にします。
神様には、人間と同じ感情があるのです。 普通に考えれば、わかるのではないですか・・
貴方の玄関先で、貴方を目の前にして、 唾を吐き、おしっこをする・・そして「願いを叶えて下さい」と言う 貴方は、怒りに震えませんか?
真に力のある神様は、必ず、戒めを送ります。
それは、貴方が何年もかけて苦しむように、流れます。 貴方が、どうする事もできない状況になって 初めて、知る事ができるように流れていきます。 逃げられない所まで・・ 人間の力では、どうする事もできない所まで、連れて行かれます。
本当の神様は、力のある恐い存在なのです。 そして、 本当の神様は、すぐに貴方の心の悪しき思いを見抜きます。
自分に利益のある時だけ、喜ぶ・・ 損得勘定で、自分に得のある人だけには、親切にする・・ そんな心は、訳もなく見抜くのです。
六明師の執り行う、 身代わり念珠も極蜜祈祷も、真に力のあるものです。 その為、 ご祈祷や御念珠をお断りせざるおえない方もいらっしゃいます。
全く、信仰心を持たず、 今後、明らかに神仏に対し、失礼な行いをする・・ と感じる場合などは、こちらからお断りをさせて頂きます。 これは、その方の幸せの為なのです。
神障り・・と呼ばれるものは、 貴方が考えている以上に、恐ろしいものなのです。
六明師は、 それを治める為、神社の神主の修業も、何年も致しました。 そして、六明師は密教の名高い僧侶です。
この現状の世界で、 唯一、それを治めることができるのは、御仏様だけなのです。 だからこそ、私は心から祈るのです。 だからこそ、私は、仏道を志しているのです。
私達は、生きているのではないのです。 人間は、偉大だ・・全て、己が力で生きてきた・・ そう、お考えの方は、無知で、愚かです。
貴方は、神仏によって生かされているのです。 貴方だけではなく、勿論、この私も、六明師も、 全てのものは、 視えざる力により、生を与えられ、死がもたらされるのです。 それは、人間だけではありません。
生きとし、生けるものは、皆、同じです。 常に、視えざる力は、私達を視ています。 貴方の毎日を、言葉を、行いを、視ています。
どうか、貴方が、 多くの幸せへと近づく為に、 正しき、真理の道を歩めますように、心から願います。
心から、貴方の幸せを願い、言霊を込め、送ります。 常に、貴方が神仏に近い場所にいますように。 心を込めて。
−AYA−
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