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2005年04月17日(日) |
崇められるも、受け継がれない |
大村はま先生が亡くなった。 98歳。 先生(教えを受けたことはないが、あえてこう呼ばせていただく)の、 『教えるということ』に感銘を受けた人間としては、 今回の訃報が本当に残念でならない。
独創的な授業で、戦後(戦前から)日本の国語教育に貢献された方。 そして、今でもたぶん、多くの教育者から尊敬されている人。 でも実は、その「独創的な」授業は、現在において継承されているとは言い難い。 つまり、「受験教育」には向かなかったわけで。
「国語教育」なんていうけど、日本語を母語としている人間に、 「日本語」をわざわざ教えるっていうのもなにやらへんな話で、 じゃあなんのための科目かっていったら、 「考える力」と「読み取る力」、つまり想像力の育成だと思うのだ。 想像力は創造力なわけで。 もちろん、国語が苦手でも、創造力たくましい人はいるでしょうがね。
文法だの漢字書き取りだのも、ある程度必要だと思うけど、 「この「それ」は何を指しているか、本文中から15字以内で抜き出せ」とか、 ほとんどがくだらない設問だなあ、って思うのですよ。 俳句や短歌の読解が、一通りの答えしかないなんて、変だと思うのですよ。 それより、文章を読んで、何を思ったか、感じたか、それをどう人に伝えるか。 千差万別の反応を、どう導き出していくか、が教師のお仕事なのではないかねえ。 そういう意味では、社会や理科とは、同じ「教えるということ」とは言え、 その性格は異なるかもしれない。
と、教員になるつもりはなかったけど、つらつら思い、今も思う。
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