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2004年12月20日(月) |
電車を、乗り過ごしそうになった |
異世界、異空間、へとトリップする話、 またはそこから何かがやってくる話は、 ファンタジーにはつきものだけれど、 そこで言う「異界」は、「この世界」と連続性のあるものだと思っている。
わかりやすく例えると「ぱらぱらマンガ」。
1枚目と2枚目、2枚目と3枚目、というように、 重なり合った紙どうしの絵は、あまり変わっていないのに、 最初と最後では全然違うものになっている。 そんなふうに、隣り合っていないちょっと遠くの「世界」と、 何かのはずみに繋がってしまうと、 それが「異界」に見えるんじゃないかしら。
佐藤さとる作品には、割と近い「世界」どうしの「はずみ」が描かれている。
さて、ごくごく近くの、それこそお隣どうしの「世界」は、 実は日常的に入れ違っていたりするんじゃないか、と思うことがある。 「世界」が入れ違うのではなく、わたしが間違ってお隣に行ってしまうのだが。
たとえば、電車を乗り過ごしそうになって、慌てて降りたとき。 あまりに慌てていたので、 実は隣の「世界」の、その駅に降りてしまったのかもしれない。 そうして、そのまま家に帰り着くのだけれど、 自分の持っている鍵で、なんなくドアは開くのだけれど、 それでも、なにか違っているんじゃないか、ひそんでいるんじゃないかと、 内心どこかびくびくし、居心地が悪くなる。 (もちろん、一度だって違いに気づいたことなんてない)
そんなとき、わたしが来てしまったこの「世界」に、 本来はいたはずの「わたし」はどこに行ってしまったのだろう? 一番怖れているのは、それに出会ってしまうことなのである。
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