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2005年09月24日(土) IE/047 【INSOMNIA】 03

3.Ghost/押入れの中には秘密がある


 クーデターは、王政の廃止を求めるものであった。
 マティアは、度重なる戦争の後、疲弊した多くの国が肩を寄せ合うようにして出来たものである。
 ゆえに人種は様々で、社会制度も当然の如く違っていた。
 戦後はそれでも、うまくまとまっていた。生き残り、生き続けるということが困難な時代だったからかもしれない。
 しかし半世紀も過ぎれば、人々も社会も荒廃からはたちあがる。そして、様々な亀裂が生まれ始めた。
 人種の違い、社会制度の違い、宗教の違い。
 多くの国が統合された中で、一国の王家でしかなかったマティア家が国を統べることへの疑問。
 反旗を翻したのは軍部だった。
 王政の廃止と、議会の強化、法律の改正などを掲げ、王宮を襲撃した。
 正規軍と、それとは独立した近衛軍との”内乱”は三ヶ月ちかくにも及び、国は乱れた。
 安定し始めていた経済は麻痺し、人々は怯える。
 王と王妃とを殺害した正規軍部は、双子の兄妹を血眼になって探した。
 当時十六歳だったシドニアとアンドレアは、マティアの血を引く最後の子ども。
 そして、国のネットワークを管理するマザーコンピュータ、『サラ』にアクセスし、最終決定を下せる、最後の血脈だった。
 正規軍の目的は、すべてのネットワークを掌握し、最終決定を下すことのできるマザーコンピュータ、サラからの”おやばなれ”でもあった。
 最後の双子のどちらかでもいい、捕らえ、サラを停止させる。そのとき、彼らのクーデターは完成する、はずだった。
 が。

 当時、近衛軍を統括していたウォン・イルファンらが、正規軍将軍であったキタジマの暗殺に成功。
 反乱軍は瓦解した。
 三ヶ月にも及ぶ戦いは、理想と希望に満ち満ちていた軍人たちを暴徒に変貌させるには十分なものだった。
 清廉で理想に溢れた男たちは力にものを言わせ、彼方此方で略奪行為を行うようになっていた。
 国は疲れ果てていた。
 唯一生き残った王女、アンドレアが即位することにも異論はなかった。
 争いから逃れ、平穏な日々が欲しかったのだ。

 それから十年。マティアは内乱時の英雄であるウォンらを中心に、様々な人種の違いによる亀裂を消化しながら、徐々に改革をすすめている。
 王族や国家中枢に位置する人間たちの権力も徐々に制限され、制度も改革されつつある。
 これが、マティアの現状である。


             *


「そういうわけではありません」
 老執務官は長い溜息をおとした。
「あなたが王宮を危機に陥れるようなことに荷担をするはずがない。それについては絶対の信頼を置いております」
「そりゃどうも」
 感謝など露ほどもしていない。肩を竦めて、恋は答えた。
「問題は、中枢でしか知りえない情報を誰が与えたか、ということなのです」
「当時の英雄であるウォンが、暗殺の首謀者に上げられてる点も、だな」
 ふたたび、恋は手紙に視線を落とした。
 手紙には暗殺前後の様子が仔細に記されていた。
 一部の人間しか立ち入ることの出来ない王宮の様子、自室の様子、当時世話役だったメイドのことなど。
「カルゼン殿下の名ばかりではなく、シドニア王子の名も騙っていると、見るべきでしょうか」
「その必要性がない」
 流麗な文字のならぶコピーの束を、恋はグレゴリの目の前に投げ出した。
「十年前に死んだ人間を引きずり出して、なんになるってんだ」
 苦々しげに吐き捨て、恋は踵を返した。
「なんにせよ、任務は任務」
 重みのある扉を廊下側に押し開き、突き刺さらんばかりの視線を寄越す男に向かって言った。
「王族の名前を騙る賊を、許したりはしないさ」
 力を込め、恋は執務室の扉を閉ざした。
 叩きつけられるように閉ざされた扉を見つめ、グレゴリは顎に蓄えた髭を撫でつけた。
 ふと、卓の上に乗っていた電話が呼び出し音を発し始めた。
 忠実に、遥か昔の黒電話の音を再現してあるそれは、耳障りに響き渡る。
 扉から電話に視線を引き戻し、受話器に手をかける。

「私だ。―――ああ、貴方でしたか」


              *


「お話は終わったようですね」
 扉の外で、フィメが待っていた。黒いスーツを纏った長身はきりりと背筋が伸びている。
「そっちもな」
 立ち止まりはせずに、恋は相棒の横を歩き過ぎる。国務を取り仕切る王宮の一角にいるとはとても思えぬ、ジャケットにジーンズというラフな出で立ちのうえ、ポケットに両手を突っ込んだだらしのない歩き方だ。
「セントラルエリアにあるマンションへ向かえとのことです」
 肩で風を切る恋の背中に、フィメは颯爽とついてくる。
「そこが?」
「一番新しい死体が見つかった場所です」
「写真のアレか。被害者は女だったな」
「セレスタ・リニエール。三十九歳です」
「三十九!?」
 思わず恋はサイボーグを振り返った。
「はい」
 顔色ひとつ変えずにフィメは頷いた。
「……女って、怖いな」
 どうみても二十代後半ぐらいにしか見えなかった。
 生前はさぞかし艶っぽい美人だったことだろう。
 恐ろしさを感じながら、恋はふたたび正面に向き直る。
「今現在はいくつものクラブを経営していたようです」

 今月に入ってから発見された、三つの死体。
 色部リュウイチ、四十六歳。弁護士。
 エリオット・アダムス、三十四歳。現役軍人。
 セレスタ・リニエール、三十九歳。クラブ経営者。
 一見、なんのつながりもないように見えるのだが。
 職業も年齢もバラバラだ。
 すこしだけ考えてみて、恋はそれ以上の推理をあきらめた。
 元々頭脳労働には向いていない。何よりも情報が少なすぎる。
 情報収集やら裏づけやらは、おそらくリオンがやるだろう。
 とりあえず、ホトケに会うか、と恋は地下駐車場につづくエレベーターに乗り込んだ。


             *


 わずかな隙間から光がさしてくる。
 まるで天からしっとりと落ちている一本の絹糸のように。
 顔を右と左に分けるように、差し込んでいる。
 いくつ物陰が、隔たりの向こう側を右往左往するたびに、糸のような光はふつふつと途切れた。
 人影はいくつも見えるけれども、判然としない。
 一体いつからこの中にいるのだったか。
 一体どれほどの人影がこの部屋を出入りしたのだったか。
 眼球ばかりが、うろつく気配を追う。
「……こりゃひどいな」
「仕事を横取りご苦労様だな」
 扉が開く音のあと、新たな気配が踏み込んできた。
 先程から怒鳴り散らしてばかりいる濁声が、揶揄を投げ返す。
「俺だって好きでやってるんじゃないんだっつーの」
 随分と若い声のように聞こえる。
 目の前を過ぎって、壁際まで足音が進んでゆく。
 どこか引きずるような、だらしのない歩き方。その後ろを軍人のようによどみのない靴音が追いかける。
 ふっと、一瞬だけ光の線がとぎれた。
「近衛課が絡んでくると碌なことがねぇんだよ」
 濁声がわざと声を張り上げて言った。
「文句なら課長に言ってくださいな」
 軽々といなす声が上から下へと移動する。どうやらしゃがみこんだようだ。
「バッサリだな、かわいそうに」
「お前らが巻き上げてった証拠品なァ」
 ジッ、という摩擦音のあとに、紫煙特有の香りが部屋に流れ出す。
「先王弟の封蝋だろう」
「……」
 僅かな動揺が滲んだ沈黙だった。
「死んだはずの王弟の封蝋がなんで今になって持ち出されてきたんだ? お前さんたち、何か知ってるんだろう」
「本件は先程、近衛課に引き継がれた筈ですが」
 抑揚に欠けた女の声は、しかし、厳しかった。
「上層部(うえ)だけの話し合いで、な。末端はいつも振り回される。大体、近衛課に任せると耳障りのいい解決案しか帰ってこねぇんだ。知られちゃマズいことは絶対に公に―――」
「……誰だ?」
 糾弾を、鋭い声が押しとどめた。
「オイ、話を煙に巻こうったってそうは……!」
「見てるんだろ?」
 声が下から上へ、移動した。
 立ち上がる気配に、咽喉が鳴る。
 視線がたしかに、こちらに向けられていた。
 常に、こちら側からそちらに注いでいたように。
 きしり、と床が軋んだ。
 足音がゆっくりと、こちらに近づいてくる。
 噎せかえるような血の匂いが、人の動く気配で押し寄せてくるような錯覚。
 両手を持ち上げて、口を強く塞いだ。

―――声を出してはいけない。

 いつもきつく、戒められている。
 昨日もそうだった。
 わずかな隙間から室内の気配を敏感に受け取りながら、きっちりと両手で口を覆っていた。
 やがて、”眼前のクロゼット”に手がかけられ、それは呆気なく、向こう側にひらかれた。


【続く】


如月冴子 |MAIL

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