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2005年09月17日(土) |
IE/047 【INSOMNIA】 02 |
2.Blind/過去からのしらせ
闇だ。 しっとりと肌に吸いつくような、粘度を持った闇。 温度があるとするならば、なまぬるい。 己の肌の境目もわからなくなる。溶けてしまうかのようだ。 溶けているのかもしれない。 それならば自分は、この闇の一部なのだろうか。 闇の一部でありながら、このように思考する自分は何者なのか。 いきものなのか。それとも。 両の手を持ち上げてみる。掌を眼前にさらす。 深い闇は、手の輪郭すら飲み込んでいる。 顔に触れる。 目鼻やくちびるの輪郭を辿る。 在る。たしかに、ここに。 凹凸を指でなぞって、安堵した。
左側で、かすかな音がした。 ほそい光が闇を切り、やがて細長い四角形を床に描いた。 あまりにも眩しい四角形の光の中に、人の影が浮かび上がった。 細く締まった脚だ。 床に映った影から、開かれた扉へと視線を移せば、人形のような無表情の女がひとり、立っていた。 肩のあたりまである髪はなめらかな黒で、肌は陶磁器のような白さだ。 瞳ばかりが肉食の獣のように爛と黄金(きん)に輝いている。 「殿下」 人形が口をきいた。抑揚にかけた声ではあったが。 「殿下、お加減はいかがですか」 (ああ、そうだ) 女の呼びかけに、唐突に理解した。 わたしは先王弟であったか。 「―――シドニアは、いないのか」 しわがれた声が咽喉をふるわせて零れ落ちた。 女はかすかに笑ったように思えた。 「すぐにお会いになれますよ」 女の声は相変わらず愛想のない響きではあったが、安堵した。 「そうか」 背もたれに体の重みをあずけた。そこでようやく、椅子に腰掛けていたことも思い出した。 「夢を、見ていたようだ」 顎をそらし、上方を仰ぐ。 闇ばかりがそこに蟠る。 女は答えない。不快ではなかった。 彼自身、誰かに語り掛けているつもりではない。 「みにくい、男だった。体中に傷を負っていて、貧相で、みじめな……」 ゆっくりと、目蓋を閉ざす。 そこにも、闇はある。どこまでもついてくる。 「夢の中でわたしは、いつもなにかに怯えていた。人目を避けて、日の光から逃げるように。そして人を―――」 にんげんを。 「殺して、とてつもなく恐ろしくて、怯えて、悔いて、それから」 「夢です、殿下」 きっぱりと、感情の感じられない声が言った。 一切の迷いを断ち切るような、鮮やかな切り口の声だった。 双眸をひらく。 闇は幾分か薄らいでいる。開かれた扉からさしこむ、眩しい光のためだろう。 女はうつくしく微笑している。
「すべては、悪い夢です」
*
女は、壁にもたれて座っていた。 だらしなく四肢を投げ出している。 うすいスリップドレスはめくりあがり、白い太腿を大胆に露出していた。 目は黒い布で目隠しをされ、床は真紅の。 そう、床は真っ赤に染まっていた。 ねばりけを持った赤い海には、転々と白いものがみえる。 そんな写真だった。 「この、白いものは?」 眼前からショッキングな写真を引き摺り下ろし、恋は豪奢なデスクに沈む初老の男に問うた。 「睡眠薬だ」 女王補佐官であるアーノルド・グレゴリは端的に答えた。 「この数日のうちに三つの死体が見つかってます」 背後で扉の開く気配がした。聞き覚えのある少々高めの男の声を、恋は背中で受け止める。 「いずれも同様の殺しかた。切り殺してから口に大量の睡眠薬を含まされている。こーんなふうに目隠しをして、ね」 唐突に視界がなにかに塞がれる。無遠慮にぺったりと顔に触れてくる他人の温度に、恋は口をへの字に曲げた。 「気色悪い。やめろ」 「フィメは?」 何かを期待するような声に、「課長のところだ」と答えてやれば。 「なんだ、ザンネン」 ぱっと再び視界は自由になった。 「リオン、お前な、もっとおとなしく、普通に現れろ」 肩越しに振り返れば、予想に違わず銀の色がある。 にこにこと温和に微笑するのは、銀の髪を持つ愛らしい少年だった。 頭ひとつ分ぐらいちいさい彼は、実年齢こそ十八だが、もっと幼く見える。 同じIEであり、恋にとっては後輩にあたる。 まことに愛らしいのだが、彼は根っからの女性至上主義者であり、男には全く持って情け容赦ということを知らない。 「彼方、どうであった」 グレゴリに声をかけられ、少年はわずかに表情を引き締めた。 小脇に抱えていた紙束を無造作に恋に押し付けると、グレゴリに向き直る。 押し付けられるまま、恋は紙束を受け取る。何かのコピーのようだった。 飾り気のない便箋に手書きの文字。丁寧なつづりだった。 「今回殺された三人は、確かに十年前、クーデターに荷担していたという噂はありましたね。ですけど、確証はなかった。ゆえに、咎めもなかった、といったところでしょうか」 愛らしい容姿とは裏腹に、スパイやら潜入捜査やら、駆け引きや裏工作が得意な少年は、女王補佐官に促されるままにとうとうと喋りだした。
―――永い夢を、見ていたような心もちだ。
恋の目は、彼方リオンに手渡されたコピーに吸い寄せられる。
「それで、例の手紙には?」
―――目が覚めても悪夢であるとは。この国は悪魔が仕切るものになってしまった。 わたしを殺し、兄と義姉を殺し、甥を追い遣り、姪を半死半生のまま鎖で繋ぎつづける。
「はい。現執務官のウォン卿の名前が記されていました。首謀者として」
―――わたしは決して自殺などはしていない。王政の廃止を目論見、王族を闇のうちに始末しようとしたウォンらに殺されたのだ。わたしが死んでからのことのあらましは、すべてシドニアに聞いた。
「しかし、妙ではありますよね」 芝居がかった動作で、リオンは腕組みをする。 「例の手紙には実際に王族か、それに近しい人間でなければ分からないようなことも記されている。だけど、シドニア王子は十年前のクーデターで亡くなってますよね? なんで彼が今更出てくるのかが疑問です」 老執務官の視線が一瞬、恋を射る。 「偽モンだろ?」 問い詰めるようなそれから目を逃がし、そっけなく恋は呟いた。 「外部には、カルゼン殿下が自殺だったなんて、漏らしてないよ?」 「秘密にしたって、漏れるモンは漏れるだろ」 「それは、まぁ。人の口に戸は立てられないけどさ、でも……」 「彼方、飯田課長の所にも説明に行ってくれ」 しつこく食い下がろうとするリオンを、グレゴリが制した。 少しばかり、リオンは目を瞠る。 リオンは聡い。グレゴリの唐突な切り出し方に違和感を感じたのだろう。 が、食い下がりはしなかった。 「わかりました。失礼します」 丁寧な敬礼を執務官に向け、先輩の背を軽く叩くと、踵を返した。 背後で再び扉がひらき、そして閉まる音。 遠ざかる靴音が聞こえなくなるまで、室内は静寂に包まれた。
「―――さて」 やがて完全に人の気配が途絶えてから、グレゴリは恋を見上げた。 「そちらを読んでいただいたのであれば、何故お呼び立てしたかはお分かりでしょう」 がらりと丁寧になった口調には、しかし、有無を言わさぬ強さがあった。
―――すべてシドニアに聞いた。
その一文からグレゴリに視線を移し、恋は煙に顔をしかめるように眉根を寄せた。 「俺を疑ってんのか?」
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【TO BE COUNTENUED】
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