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2005年06月05日(日) |
夢喰い 【イレギュラー】 第十五話 |
【第十五話】
「どうしたんだ?」 一馬は聞き返した。 玄関先でぽつねんと立ち尽くしている要は、瞳にいっぱいの涙を溜めている。 振り返って、向き直る。 きらきらと、光を跳ね返す水っぽい目で、一馬を見つめている。 数歩遠ざかった距離を詰めるように、再び玄関先まで引き返した。 唇をかみしめるようにして、要は何かに耐えている。 ニ三度まばたくと、雫が頬に伝って落ちた。 「助けてほしい、ひとがいるんだ」 嗚咽に妨害されて、時折声が途切れる。 右手の甲で、要は目元を拭う。 細い肩がふるえていた。 「神田君、がさ。一週間も目が覚めないんだって。カズマだったら、なんとか出来ない?」 返事はできなかった。 状況が飲み込めていない、ということもある。 が、何よりも、自分が所持している「力」を使うことへの抵抗が大きかった。 「要―――」 「カズマが、自分の力が嫌いなのは、分かってるけど」 なだめすかそうとすると、すぐさま切り返された。 真剣な、縋るような強さを、大きな瞳がたたえている。 「このままじゃ、嫌だ……」 かくん、と糸が切れた人形のように、要がうな垂れた。 ぽつり、と一滴、重力に引きずられて涙が落ちた。 「僕、もっと、いろいろ……話したいことが……」 拳を目に押し当てて、要が肩を震わせてしゃくりあげた。 「あがって」 根が生えたかのように動かない要に、声をかけた。 「話を聞くよ」
*
音も立てずに、灰皿に置いた煙草の先から灰がおちる。 吸いもせずに短くなったそれを、あきらめてもみ消した。 とつとつと、要が現状を説明した。 それと同時に、一馬の期待も裏切られることになる。 もしかしたら、身体的な理由で眠りつづけているのかもしれない、という期待があった。 だとしたら、自分が介入できる領域は越えている。 それならばいいと、そうあってほしいと、思っていたのだけれど。 どうやら、うまくことは運んでくれないようだ。
「しんどいものがあったなら、言えよ」 話を聞き終えて、とりあえず、告げた。 要はソファーに沈んで、俯いたまま黙っている。 容易くはないということなど、分かっている。 胸のうちに抱えた重みを、あっけらかんとひとに晒すことなんて、出来はしない。 特に、目の前の少年はそうだ。 他人に重みを預けることが苦手だ。 いい子であろうとする分だけ、心配をかけないように口を閉ざす。 目を配っているつもりだったけれど、さすがに学校の内側までは見透かせない。
おまえ、気づけよ。 押し殺したような低い声が、耳元に蘇った。 要が学校を休んだ朝のことだ。 何事もないかのように居間に下りてきた少年の口から、批難を浴びせられたのだ。
―――ヒカリ、か。 近頃は現れていなかった。 剣呑な気配に、思わず身構える。何が飛んでくるか分からなかった。 ―――何かあるのか。最近様子がおかしいとは思ってたけど。 問えば、さらにきつく睨み返される。 気配を察してるんなら、もっと突っ込んで聞けよ。 要が自分から、ホイホイ喋れるような奴じゃないって、知ってるんだったら。 無理矢理にでも踏み込めよ。そうしないと、何も言わないだろ。 お前が考えているよりも、状況は深刻だぞ。 要には言わなかったが、あの朝、そんなふうに叱られていたのだった。
確かに、想像していた以上に状況は深刻だった。 まさか、当時の週刊誌が校内で出回っていたことまで、考えつかなかった。 「悪かった。全然気がつかなかったよ」 謝罪に、要はゆるく首を横に振って答える。 しばらく、沈黙が降りた。 バスタオルを頭からかぶったまま、要はうな垂れている。 飲み物でも用意しようかと、一馬が腰をあげると。 「うれしかったんだ」 ぽつりと、か細いつぶやきが落ちた。 「神田くんに声かけてもらって、うれしかった。だから、身代わりにされてるんじゃないかって思ったときは、ショックで……だから無視しちゃって」 堤防が決壊したあとは、言葉が溢れてとまらなかった。 頭からかぶったバスタオルが視野をさえぎっているからかもしれない。 「ちゃんと謝って、さ。もっと、色々話がしたいんだ」 体を小さくたたむように、要が、ソファーにのせた膝に額を押し付けた。 「……に」 くぐもって、声は聞こえづらかった。 「友達に、なりたいんだ」 膝を抱く腕に、力を込める。 一馬は黙り込んだ。 「お願い……」 か細い声が、続いた。 お願い、だなんて言葉を、この少年の口から聞いたことなんてほとんどない。特にこの家で暮らすようになってからは、皆無かもしれなかった。 かわいそうなぐらい、体を小さく畳んでいる少年に近づいて、一馬はその肩に手を置いた。 驚いたのか、その肩が大袈裟にふるえる。 夏服であるシャツは、水を吸ったのか、生ぬるかった。 「とりあえず、今日はちゃんと体をあっためて寝なさい」 弾かれたように、要が膝から顔を上げた。 おざなりに、うやむやに流されると思ったのかもしれない。 勢いをつけて顔を上げたからか、頭に乗せていたバスタオルが肩に落ちる。 「今日はもう遅いだろ。明日にしよう」 「……助けてくれる?」 この手を離されたら、深い水の底に沈んでしまうかのようだ。最後の砦を必死に守ろうと、要は縋った。 「明日、その子に会ってみようか」 絶望に沈んでいた要の瞳に、光明がさしたようだった。 驚きに瞠った瞳に、確かに生気が戻っている。 「……ありがとう」 全身を強張らせていた緊張が、大きな吐息と共に抜けてゆくのが分かった。 「お前が風邪を引いたら元も子もないんだから。早くしないと体が冷える」 促せば、恐々と要は折りたたんだ体をひろげるようにして、ソファーから立ち上がった。 ぺたぺたとフローリングを踏んで、居間の外に消えた。 足音は、そのまま浴室のほうへ向かってゆく。
テーブルの上に無造作に投げ出してあった煙草の箱から、一本引きずり出して、唇にはさむ。 行方不明のライターをおざなりに探しながらも、思考の大部分は先程のやりとりのことで占められていた。 これでおそらくは、受諾したことになるんだろう。 会ってみようか、と要には言ってみたものの、一馬はまだ割り切れずにいた。 生まれ持った力を行使するのには躊躇いがある。 しかし、要があんなことを言い出したのは初めてだ。 友達になりたい、なんて。 彼が振り絞るように口にするぐらいだから、よっぽど強い思いなのだろう。 それを察してしまったら、振り払うことが出来なかった。 結局、自分は要に甘いのだと、自覚しなおしてようやく、ライターを探り当てた。 一口深く吸い込むころには、雨音ではない水音が、浴室のほうから聞こえてきた。
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【続く】
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