草原の満ち潮、豊穣の荒野
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95 草原の満ち潮   2 長い道の果て〜Destroy Everything You Touch

オンディーンは荒野に立っていた。
彼は目を閉ざしたまま何かを待つように荒野の中央に立っている。
乾いた大地は泥に埋もれ、ぐねぐねと歪んだ月を反射させ、道の向こうからはガレイオスが
犠牲を引きずってやってくる。
ぬかるんだ荒野に放り投げられたブルーは泥に絡めとられた。
波のようにうねった泥がオンディーンを囲み、泥のクラウンが現われては消える。
青いオンディーンは空高く手を差し揚げた。


「!」

雷鳴。
ぬかるみのブルーは直撃を受け、幾多の魂もろとも一瞬でバラバラになり泥に消えた。
何も思う暇もなく。

「何をする!」

ガレイオスが叫んだ。

「あの魔獣を大地に打ち込み、貴様達の願った約束の地を得るのではなかったのか!」

オンディーンはゆっくりガレイオスに向きなおるとその顔を泥の鞭で打った。

「下がれ、獣。死者の臓物を喰らい貶め、今更何が約束の地だ」

「な、何?貴様...」

「私は長い間、この時を待っていた。獣よ、己の惨めな洞穴へ消え去るがいい」




「おお!?」

荒野から少し離れたヒダルゴの街。
押し寄せて来る泥の波に半ば水没、ナタク達だけが僅かに残った大地にいた。
街の生き残りも皆そこで、不安な夜を過ごしている。
稲妻が澱んだ空を走り、何かが割れるような音が響き渡った時、すべての人間が空を見上げた。
魔法陣を必死で支える若い神官だけは集中する余り、それさえ気付かなかったが。

「今のは...」



再び荒野。
オンディーンは倒れている黒髪の男の前で空を見上げていた。
雷に撃たれて燃え始めた高い木。
暗い空を仄赤く染める火がゆらゆらと鳥のような形を造っては消える。

「戻って来るがいい。我らの願いを知る『証し』を持った証人よ」

オンディーンの前に倒れている黒髪の男は本来、『カノン』という地上の司祭だった。
ガレイオスは彼を利用して深海から現われた。
焔がはっきり現われる度に荒野の泥水が砂も残さず燃やし尽くされ消える。
魂達も地獄の業火に飲み込まれるような悲鳴をあげて消えて行った。
借りの体から雷と共に叩き出された深海の獅子は、死者達の魂と逃げ惑いながら叫んだ。

『何故だ!科人は貴様達なのに何故...』

かつては誇り高く生きているはずだった。なんなのだ、この無様な様は。
憎まれようがうとまれようが、己の責任を果たすのならかまわないと思っていた。
敬愛した老人すら自分を認めなかった。
それでも...

この過去の『鬼』は大地を約束の地とする事を引き換えに『海の秩序』を維持させると約束した。
しかしこの異様な焔は何かが違う...

『貴様は海すら崩壊させる気か!』


オンディーンは獅子を完璧に無視したまま、空を見つめ呼び続けた。
暗い空に時折燃え上がる焔が泥の海を燃やし尽くしていく。
幻の海を焔が荒野もろとも飲み込みながら『焔の鳥』は実体化していった。

「空に燃える赤は海の願いを見続けた瞳の赤...今こそ生まれて来た役目を果たすがいい」


『おのれ、貴様達はいったい何を..』

ガレイオスがオンディーンに向かって飛びかかろうとするのを何かが止めた。

『よお、言わなかったっけ?用がすんだらさっさと海へ帰った方がいいって』

『貴様...』

『もう遅い。せめてこのデカい見物をあの世の土産に特等席で見て行くんだな』

『うおっ』

獅子をねじ込むように押さえつける『幽霊』

『そういや、オレは名乗ってなかったな。オレはヴァグナー・ハウライト。
お前さんのおかげで未熟者の助手は命拾いした。その礼といっちゃなんだが...』

『なんだというのだ貴様』

『...てめえが誇りまで失いたくなきゃ黙って見てろ』

ヴァグナーが空を指差した。
黒い夜の闇に現われた焔の鳥の翼は、空の彼方まで燃え上がっていた。

『ほ..焔?』

『オレの助手はな、意味もなく邪眼だの浄眼を持って生まれたわけじゃねえのさ』



その頃、街を走っていたルーの魂も空を見つめていた。

「そ...空が割れる」

赤い稲妻のように焔が走る度、巨大な鳥が姿をはっきりと現して行く。
呆然とルーが空を見つめていた時、鳥が巨大な翼をひとつ打った。
街を一陣の風が吹き抜け、少年を打った。

「ぎゃっ」

ルーの胸に銀の棍。
ガレイオスの手でルーは殺されたのだ。その状況のまま彼は銀棍と共に風に飛ばされて消えた。


そして二度目に焔の鳥が羽ばたいた時、ナタクや若い神官が守る魔法陣に焔が燃え上がり
街中を包んだ。
激しい焔の中、人々が燃えて行く。
青い海の死者が触れ、眠りにおちた人々、カノンに首を落とされた死体の山、
ナタク達に守られた街人以外、すべてのものが焔の中で燃え、消えて行く。

「あ...ああ。皆燃えてしまう」

銀の髪の少年イザックが叫んだ。
生き残りの人々は焔に燃え落ちる全てに顔を覆った。
人も馬も草も木も何もかもが燃え消える。
街を押し流した水さえも、蒸発して消え行くのだ。

若い神官がようやく周りを見た。

「じ...地獄図だ...」

ナタクは身じろぎもしないまま仁王立ちで空を見つめている。

「触るものすべてを破壊する焔かいな...いいもんも悪いもんも皆や...」


街のほとんどが焼け失せた時、荒野だけがぬかるみを残していた。
赤い焔の鳥が現われた場所は、まるで太陽のように夜の硝子の闇を突き破り燃え上がっていた。
その中心にカノンが倒れている。
オンディーンが静かな声で呟いた。

「何も残すな...。人も街も歴史も想いも、何もかもすべて...」


ぬかるみは1秒ごとに乾いて行く。
オンディーンの周りだけが溜まり池のようにぬかるみを残し、激しく波打っていた。