草原の満ち潮、豊穣の荒野
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84 戦闘人魚  1 情けない英雄

混乱の街、ヒダルゴ。
夕刻の迫る街に立つ黒衣の男。手にした鎌の長い影は死神。
カノンが一歩進む。

「ひっ」

ブルーは後ろへ下がろうとして人々の壁に阻まれた。

「いっいやだーっ!オレ、こいつだけはこええ!」

喚くブルーを青い人間達がずいと押し出し、カノンの前に再度立たせる。
両手で頭をかばいへっぴり腰で『英雄』は叫んだ。

「皆逃げろって、オレはただのチンピラなんだ。
カノンさん、あんたもそいつはわかってんだろ、頼むからその鎌収めて...ぎゃ」

ブルーの突き出した右腕が一本数人の青い人間の頭と共に飛んだ。
死神は無言でもう一度鎌を旋回させた。

「くそったれ!」

「!」

死神の鎌がブルーの顔面直前で弾かれるように後方へふっ飛んだ。ルーの時とは違う。
それはブルーの罵倒と同時に起こった。カノンは鎌と共に瓦礫に突っ込み倒れて動かない。
ブルーはブルーで久しぶりの『声』に戸惑った。
幼い頃よく、危険な場所で使った牙以上の武器...

背後の人々が一斉に歓声をあげた。

「...冗談じゃねえぞ、カノンを怒らせりゃ逃げられるもんも逃げられねえだろ」

ブルーは落ちた腕を拾うとろくに血も流れない、まるで数日経った死体のような断面に舌打ちした。

そうだった...オレは戦闘種とかいうなんかの出来損ないだったんだっけな。


「おい全員逃げろ!今ならあの死神は寝てる。どこでもいい。この街から出て好きなとこへ行っちまえ。
ここは海なんかじゃない。ましてやあの浜辺でもなんでもない。いいかげん気付け!」

誰一人動くものはいない。誰かが叫んだ。


『やっとその時が来たのに何故逃げなければならない?
我々はどんなに時をかけても約束を果たすと言われてついてきた。
あなたはそれを破るのか』

「...オレじゃねえ。そんな約束オレはしてない」

『あなたの体の全てが我々との契約だ』


ブルーは背後にとてつもない寒気を感じ振り返ったがそのまま頭は胴体から離れ
カノンの鎌の軌道の先に転がった。
青い人間達は首のない体をこともなげに支える。
額から赤い血を流して立つカノンの方が今にも死にそうに見えた。

「コンチクショウ!」

ブルーの頭部が叫び
青い人間がひとりくずおれるように倒れ二度と動かなくなった。
その体から首と腕が血を流す事もなく転げて離れた。
ひとりの青い人間がカノンにきっぱりと告げる。

『地上の人よ、私達は最後の一人まで彼に魂を預けたのです。
あの約束が果たされる日まで私達は彼の血肉であり命であるのだ』

「.....」

カノンはふらつきながらブルーの頭部を拾い上げた。

「では燃やしても無駄か」

「うげっ」

「体ならもうひとつあるからやるならやっちまいなよ、ナマグソ司祭」

瓦礫の後ろから黒髪の女が現われた。彼女、デライラはルーの腕を掴んで離さない。
小さな青い少年は寝耳に水の表情でデライラを見上げていた。


「デライラ、てめえ人ごとだと思いやがって勝手な事を」

「うるさい、生首がベラベラ喋ってんじゃないよ!
あんたがぬるい寝言言ってるからそんな事になったんじゃないか」

「女神殿は人にしか見えないが、ブルー殿とは?」

カノンはブルーの頭部を持ったままデライラに問いかけた。もう笑ってはいない。
額の傷から流れる血は普段カノンが前髪で隠していたのと同じように顔を覆っていた。

「あたし?さあね。あたしはアルファルドの言う通りに動いてただけ。
それがなんの為かなんて知ったこっちゃないわ。有利な方へ動くだけ」

「こっこのクソ女!」

ルーは絶句してデライラを見上げている。
さっきまで一緒に逃げて行動していたのだが...

「いいこと、カノンだっけ?大きいのと小さいの一緒に始末すりゃいいのよ。
でなきゃ、あんた時間の問題で死ぬ寸前じゃないのさ。
あたしはどっちだってかまやしないよ」

デライラはドス黒い微笑みを浮かべた。

「お...おねえさん、ちょっと...」

ルーがようやく抗議する。
デライラはルーをしっかり掴んだまま言った。

「坊や、死にたくないなら闘いな。あたしはあの青い連中が気に入らないね。
さっきから聞いてりゃ何?他人任せで何もしない、バカみたいに身代わりで消えてくようじゃ
化けて出る資格もないんだよ。そこの鎌持った人間ひとりくらい皆でやっちゃえとか考えないわけ?
同じダメでもよくこんなアホなチェリーボーイなんかに任せる気になるわね」

「ちょっと待て、チェリーボーイってのは誰のこった」

「ほほほほ!他に誰がいるって?このクソ真面目そうな司祭だってあんたよりマシなんじゃない?
ストーカーみたいに小娘付け回して顔見りゃ逃げ出してどこの中学生だ」

「いっ言うなクソ女!ええい、カノン、てめえオレの頭とりあえず戻せ!あの女の口に石でも突っ込んで黙らせてやる」

「...ブルー殿」

カノンはブルーの頭部を切り離した部分にそっと置いた。
ブルーの体の傍には幼い青い子供が数人しがみついてカノンを睨んでいる。

「ありがとうよ、カノン...じゃなかったカノンさん」

「カノンでいい。僕も君にひとつ言いたい事がある」

「あ?」


ブルーの首は黒いどろどろしたものが継ぎ目を埋めるようにして固定されていく。
腕は比較的早くもとの場所に繋がった。
長い髪は切られたまま肩でざんばらに広がっているが、少しずつ元の長さに伸び始めていた。

「僕もあの女神殿の言う通りだと思う。
君達を灰に帰すのは難しくないが、それでは僕も気が収まらない」

ずいとカノンがブルーに詰めより、微笑んだ。血まみれを通り越して血みどろの微笑み。

「..........」

ブルーの脳裏では警笛が鳴り響いている。
この状態でこの男が微笑んでいるという事は...


「逃げるな馬鹿者」

「え?」

カノンは聞き返したブルーの頬を拳で殴りつけた。
もどりかけたブルーの頭部が思い切り反対に回った。デライラはひっくり返って笑いこけている。
ブルーはあわてて頭をぐるっと回してカノンの前、真正面に目を向けかけそのままわざと回し過ぎた。

「いいか、君が人だかどうかは怪しいが、その様子だと自分で考え行動は出来るらしい。
僕は魔物を滅する者だが、こんな馬鹿で臆病なチンピラに振り回されるのはごめんだ。前にも言ったぞ。
冗談じゃない。いったい何人死んだと思ってる?
僕の鎌で首を飛ばした者はもう戻らない。
自らの意思を奪われ魂も失った者だけを僕は刈り取るのだ」

「オ、オレは...」

「うるさい。君が意思を持っているとわかった以上責任を取れ」

「せ、責任ってそんな...」

カノンはもう一度ブルーの顔を殴ってフラついた。


デライラはルーを鷲掴みにしたまま薄笑いでやり取りを見ている。

「ははん。あの司祭もよく言うわ。自分の限界知ってるわけだ」

「え?」

「坊や、ああいうのを駆け引きっていうのよ。よく覚えときな。
カノンはもう何も出来ない。さっきも言ったけど死にかけだよ、あいつ。
ブルー達を抱き込む以外に手はないってこと。
どう?あいつをやっちまうなら今、ほっといても死ぬだろうけど
じたばたされちゃこっちも怪我するかもね」

「お...おねえさん」

「デライラよ。どうすんの?あたしはどっちについてもいいけど
出来れば辛気くさい青い連中じゃない方がいいわね。
カノンを味方に付けて奴ら掃除しちまうのも手。
どうせどっちも皆運命だ何だで縛られてるアホだからどっちだって同じようなもんさ」

ルーは困ったように下を向いた。胸の銀細工に触れる。

「...思い出さない方が良かった....」

「何よ?」

「うん...なんでもない」


「..........?」



ルーは全てを思い出していた。
気が遠くなるような長い時間の彼方の事を。
この場で一番すべてを知る小さな青い少年。
ブルーの幼少期によく似た風貌で彼は呟いた。


「こうなっちゃいけなかったのに....」

少年はカノンに押されてしどろもどろのブルーを見た。
償う為にぼくはブルーの記憶だけを持ってあとは封じたのに...


少年の脳裏に白髭の老人の苦しそうな笑顔が浮かぶ。
そしてもうひとり。
その顔は恐ろしく歪んで白髪に近い銀の髪を持っていた。
彼は暗い深海の黒に限りなく近い青の瞳で笑っていた。

「カノンに...いや地上の人達に付こうよ、お姉さん」

デライラは、鼻で笑うとカノンの周りの青い人間やブルーを蹴り倒し、カノンをそのまま拉致した。
少年があわてて追うのをブルーは蹴り倒されたまま唖然として見ていた。


カノンが意識を失ったのと同時に銀棍から白刃が消える。

「さっさと手当して休ませないと死ぬね、こいつ」

楽しそうに笑いながらデライラはカノンを引きずって走る。
少年は後ろから支えながら苦笑いしていた。
そしてその頃、街の外れではナタクが何度も同じ道に戻ってしまうと訴える
少年と中年女を比較的青い人間の見当たらない場へ隠れさせ空を睨んでいた。


「まったく...外へ出さんよう囲うとはどれだけごつい鬼じゃ、っちうねん」


空は不自然に歪んで夕陽を乱反射させていた。