街道沿いのカフェ。

古い佇まいで寂れてはいるが中は
歌う女の声や客のざわめきで賑わっている。

小さな店に不自然な程、多数の人の声がする。
ナタクは街道から覗くように
それを眺めていた。
彼の背中には大きな布にくるまれた荷物。

「ブルー殿がまだおったらええんやけど...
こら、騒ぐなやアズラエル」

ナタクの回りには誰もいない。
彼はいつもの黒眼鏡をずりあげると背中の荷から
布を取り去った。
足下に落とされた布から現われたものは一振りの大剣。
馬でさえ楽に斬れそうなそれを肩にかけ
彼はカフェの敷地に一歩踏み込んだ。

ずぶ、と赤茶けた砂地が沈む。
岩と砂利と砂。街道に続く緑とはまるで別世界だ。
それどころかその砂は、底なしのように侵入者の足を
呑み込みはじめた。

「あかん」

彼はざくりと足下に大剣を鞘のまま突き立てた。
その瞬間軽くなった足で、彼はさくさくとカフェへ歩いて行く。
賑やかな歌声と笑い声。
彼は古い階段を軽やかに登り、扉を勢い良く開いた。



「営業中でっか？」


静まり返った店内。
突然流れ込んだ空気に中の埃が舞い上がる。
誰もいない。
店の真ん中にひとり、青い髪の男が座っている以外は誰も。
放歌や笑い声は跡形も無く消え失せていた。


「ブルー殿、開店祝いに酒屋を忘れたらあかん」


ナタクは笑顔で店内に踏み込んだ。
肩の大剣が異様な振動音を伴って震える。
店内はナタクの動作で生じる音以外、静寂が支配していた。
時折水滴が落ちて響くばかり。
テーブルに上げられた椅子は埃が積もり
最近持ち込まれたらしき荷は積まれたまま。
椅子に座った男はナタクを見たまま何も答えなかった。


「静かにしいや、アズラエル。話くらいさせえ」


青い髪の男が大剣を見てにやりと笑った。
その笑顔の頬には傷がない。
それ以外はブルーと同じ顔、同じ瞳をした男がようやく口を開いた。

「あなたがお尋ねの男ならいませんよ」


大剣がピシリと異音を放つ。
ナタクはにっこり笑って再び尋ねた。

「いつからや？」



問いかけた瞬間、ナタクの背後に凄まじい量の水が降り注ぎ
暗い焔がいくつもその中に揺らめき始めた。
外で聞いたざわめきが戻って来る。


「最初からだ...」


青い男はゆっくり立ち上がるとナタクの正面まで近付いた。
だが、彼はナタクではなく背中の大剣を見ていた。

「まあ、待ちや。
こいつを刺激されると出来る話もでけんようになる」

「私は生者に話す事は何もない。
ただ、ひとことを除いては...」

「ソレ言うたらしまいやで、言わんでくれ
ブルー殿」


青い男は品の良い微笑みを浮かべ、ひとこと言った。




「壊れろ」




返答を合図に暗い焔が一斉に噴き上がり
言葉の主を顎の下から蒼く照らし出した。
その姿は紛れもないブルー。
背後には小さな焔がいくつも寄り添い隠れていた。
どこからか幼い声が不安そうな叫びを響かせる。

ナタクは頭をぼりぼりかきながら右手で大剣の柄を僅かに
鞘から引き上げた。
つんざくような悲鳴と共に人型の影が店中を駆け巡り
いくつもの焔を呑み込んでいく。
青い男はそれを平然と見ていた。
やがて彼の背後の小さな焔までがすべて消えるまで。

「死人が堂々と戻れるわけないやろ...」

ナタクは、大剣を顔の正面で半分程抜き、止めた。
覗いた白刃に映る青い男は薄笑いすら浮かべている。

「お前は今、街で何が起こっているか
知っているのか？」









ヒダルゴ。
街なかの小さな路地一角にある民家。
そこに黒髪の司祭服を着た死神が立っていた。
手に握られた銀棍の両端に鎌のような白刃。
彼の周辺は倒れた人々。
あるものはただ横たわり、眠っているのか死んでいるかもわからない。
そしてあるものは胴体と頭が離れ、転がった頭を追うように
赤い血が地面や床に染みを作っていた。




「お...おい、それ街の連中だろ！」

「ああ」

「ああ、って！」

目の前を黒衣の男が、銀の対になった大鎌を持って
街人を切り裂きまくっている。
逃げまどう男も女も子供も容赦ない。
数分で死神…カノンの前に立つものはいなくなった。
すべて転がっている。


「さて」

一仕事終えた、と言わんばかりのカノンがルーに向き直った。


「え」

ルーの足下には彼を捕縛した魔法陣。
死神司祭は無言で対の刃を少年の首に閃かせた。

「ぎゃっ！」


鈍い音が響き少年が転がり倒れた。
カノンは無表情のまま倒れた少年の傍にかがみ込む。
数秒の静寂。





「ナぁニすんだよこの
スットコドッコイ野郎ッ！」



鬼の形相で少年が喉元を押さえながら飛び起きた。
興奮した犬が吠えまくるようにル−は
一気に捲し立てかけて咳き込んだ。

「ゲホォ！このッ...クソッゲボオ！！」

「元気そうだね」

カノンは眼鏡を外し、浴びた返り血をハンカチで丁寧に拭き取りながら言った。

「なっ、なんだと...」

ルーがはたと黙り込んだ。
足下にいくつか転がった生首。赤黒い染みが
もと在った場所から線を描いている。
新しく切断された胴体から噴き出す血しぶきの傍に立つのは
紛れもなく大鎌を持った死神。



カノンは確かに自分の首に大鎌を振り下ろした。
骨に響いた衝撃も生々しい咳となって残っている。
あわてて彼は自分の首に手を当てた。

「ど、どういうこと？」

喉はまだ咳き込み続けている。


「僕が何故、君にお守りを渡したと思う？」


カノンは咳き込むルーの背中を素手で軽く触ると
足元の焼き付けた魔法陣の線から押し出した。
カノンの身には何も起こらない。


「よし」


彼はそう言うと白い手袋をはめ、眼鏡をかけ直した。
赤い目は長い前髪に遮られたまま。


「よくわかんねえよ」

「僕もだよ」

「わかんねえでなんてコトすんだよ。死んだらどうする気だ」

「さっきの少女みたいな事をまた起こされては困る。
一応『お守り』が効いたようで良かったね」


カノンはどうでも良さそうな顔で外を見渡した。
今の所、人影も見当たらない。
彼は再びハンカチを取り出すと
今度は白刃にこびりついた汚れを拭い始めた。

ルーは大鎌にビクつきながら足元の死体を覗いて
横を向いた。腐った臓物のような匂いが微かにしたような
気がする。もしくは濃い潮のような...


「....そこのさ、寝てる人なに？」

いくつか死体にまざって無傷で倒れている人々。
微動だにしない。
カノンは銀棍の白刃から血を拭いながら言った。

「生者」

「は？」

「僕は生者と死者が道を間違わないように
交通整理してるだけだよ」

「ってあんた、殺してんじゃんか！」


ルーが後ずさりながら喰ってかかった。
この司祭と来たら能面のような無表情さで人々の首を飛ばしまくったのだ。
カノンは白刃の汚れをきれいに拭い去ると言った。


「僕が聖人とでも思ってたかい？」

「...あんた司祭なんだろ？」

「ああ、そうだよ」

黒髪の司祭は口の両端を吊り上げた。
明らかにいつもの穏やかな微笑みとは違う。

「....」

ルーがいきなり走り出した。
彼は本気で怖かった。
大鎌を持った黒い死神なんかと一緒にいたらどんな事になるか。

そうだ、あのパンをくれた女...？のひとを探そう。

カノンは追いもせず、走って行った少年に背を向けると
眠るように倒れた人々の額に指先の微かな焔で焼印らしきものを付け始めた。



「わあああああッ」


黙々と作業するカノンの傍にルーがまっすぐ駆け戻って来た。


「静かにしたまえ、今大事な作業をしているところだ」


カノンはルーを見もせず、小言をくれただけ。


「だって、見ろってば！後ろ！！また来たんだって！！」

「なんでわざわざ連れてくるんだい？」

カノンはうんざりした顔で振り返った。
ルーを追って先と同じような集団がフラフラと近付いて来る。

「だってあいつら気色悪いんだよ」

ルーは内心お前もだ、と思ったが口には出さなかった。

「君は何から何までブルー殿そっくりだよ。
騒々しく厄介ごとばかり連れて来る」

作業を中断されたカノンが、大きくため息をついた。
手には銀の大鎌。普段はただの銀棍。

押し寄せて来る集団。
カノンは不機嫌そうに立ちはだかるとそのまま銀棍を一閃させながら
突っ込んでいった。

「.................」

阿鼻叫喚とはこの事だ、とルーは耳を塞いだ。

「ぎゃあっ！！」

ボールのように頭がぽんぽん飛んで来る。
目を見開いたそれと目が合ったルーは叫んで放り出した。
少し前まで臓物まみれの記憶に吐き気を催していたのが夢のように思える。
今手に持った頭と髪の感触は拒絶する間も与えず、次から次へと飛んで来る。
ルーの青い肌や髪は血で染まり、赤い小鬼のようになった。
途切れ途切れの記憶の自分は人を喰っていた。
だがこの阿鼻叫喚度はそんなもの軽く越えている。
恐怖が臨界に達するとそれは唐突におかしなものに見えて来る。
彼は愉快な気分でもないのに笑い出してしまった。

鎌を振う死神と、生首を受け止め笑いこける赤い小鬼。
コントロール出来なくなった顔の筋肉に苦痛を感じながら
ルーは『目覚めてから起こった出来事』と『途切れ途切れの記憶』を
思い出そうとしていた。

まだ寝ぼけて夢うつつなだけなんだろうか...
目覚めたらいきなり神の使い扱いで引き回された挙げ句
女の子に何かしてしまったのだ。

「あの子、どうしちゃったんだよ、ほんとにさ」

ルーはそろそろ飛んで来る頭にも慣れてポイポイ右から左へ投げ捨てる。
気違いじみた笑いも治まった。
何か振り切れて壊れたような奇妙な安定感。
カノンは人の山に突っ込んだきり見えないが
頭がぽんぽん飛んで来るという事は元気、ということだ。

「にしても数多くねえ？」

頭が積まれ損なって転がる。
彼は胸元から赤い石のはめ込まれた銀細工を取り出して眺めた。
半分くらいひしゃげ、煤けている。

「ボロっちいの」

ルーはそれを仕舞い込むと暇つぶしに転がった頭をきちんと並べ始めた。

「化けて出んな」

せっせと首塚を作るルー、大鎌を振るい続ける死神司祭。
奇妙なコンビは日が暮れるまで同じような事を繰り返した。
日が暮れたら暮れたで死神司祭は首が飛ばなかった者達の額に
何やら印を付け続け、ルーはその間せっせと胴体を整列させては
かたっぱしから布や紙を取って来ては被せてまわった。

倒れている人々は目覚める様子がない。
カノンは彼等を地面に焼き付けた魔法陣の中に押し込んで
明け方やっと軽く眠った。

死体と動かない生者と死神に囲まれ、ルーは複雑な気分ながら
朝までぐっすり眠って起きなかった。

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