草原の満ち潮、豊穣の荒野
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62 謎~i'd rather die than give you control |
ブルーはその日珍しくルーを連れ街を歩いていた。 ルーは大きな買い物籠をぶんぶん振り回し ブルーに小突かれてはけらけら笑っている。
街は夕暮れ。 あちこちの店から焼いた肉やら なにがしか調理された食べ物の匂いが漂って来る。 ブルーはまだフードを外すには早い時刻。
「おい、もうちっと落ち着けよ」
ルーは通りの店ひとつひとつ、あちらこちらと駆け寄っては覗いて回る。
「こら!菓子だけだって!」
ルーが高価な時計を覗き込んだのを首根っこから掴んで放り投げる。 着地した瞬間ルーは次の店へ駆け込んで行った。 ブルーは苦笑いでそれを見ている。 今日はルーに籠いっぱいの菓子を買ってやると商店街へ出たのだ。 色とりどりのキャンデー、様々な動物や物をかたどった焼き菓子。 遠くの街から来た小箱に入った砂糖菓子、甘い飲み物...
ルーはひとつ手に取っては空にかざして笑い声をあげた。 大きな籠はなかなか埋まらない。 引き回されては代金をちまちま小銭で払うのにも飽きて来た。
「おい、この銀貨やるから好きなだけ買ってこい。 オレはそこで待ってっから」
とうとうブルーは屋台のコーヒー片手に座り込んだ。
「いい香りだな」
屋台の店主はまだ少年。黒い肌に縮れた髪、色鮮やかなうすい布を 何重かにひっかけ遠い国を思わせる。 彼は白い歯を思い切り見せて笑うとカップに琥珀色の飲み物を継ぎ足した。 サービスかと思ったらしっかり手を出してくる。 ブルーはまあ、いいかと払ってやった。
今日は特別だ。もうすぐこの街を出る。ルーは置いて行く。 一日くらい何かしてやるかと籠一杯の菓子を買いに出た。 自分と暮らすと確実に先が見えている。どうせ知らない子供だ。 まともな街に置いて行った方が自分の為、本人の為、世間の為だ。
ルーが籠いっぱいの菓子を抱えて戻ってきた。 ぽろぽろと溢れるのをあわてて拾ってはまた零す。
「買い過ぎだって」
ブルーはひと掴みのキャンデーをさっきの黒い肌の少年の手に 押し込むとルーと歩き出す。 少年が知らない国の言葉で礼らしいことを叫ぶのが聞こえた。
「なあ、ルー。腹へってないか?」
ブルーの問いかけにルーはブンブン首を振った。 口いっぱいに頬張ったキャンデーがはみ出している。
「あっ、そう...」
しばらく行くとまたブルーが言った。
「まだ腹へってないか?」
ルーの口の中は膨らんだまま。
「...パンとか食べたくねえか?」
未練がましく言ったものの籠も溢れそうになっている。
「仕方ねえや、ルー、ちょっと来い。いいモン見せてやっからさ」
ようやく日が落ち始め暗くなって行く小道を ふたりは街の外れへ歩いて行く。 丘を越えたあたりでブルーは勢い良くフードを脱ぎ捨てた。 にんまり笑った顔は悪人面。 森から泉へ続く道はこの時刻誰も通らない。 星がいくつか瞬き始めた頃、ふたりは泉のほとりにいた。
「いいか、面白いもんを見せてやるよ。そこに座ってな」
暗い水辺には月灯りしかない。 ブルーは水の中へ少し進むと両手を広げ突然叫んだ。 声のない叫び。 噴水のように水柱が立つ水面。 まっすぐに勢い良く噴き上がった水は空中で四方に散り ルーとブルーの上に雨のように降り注ぐ。 ルーは驚きもせず嬉しそうに水のショーを見ていた。 ブルーはブルーで水柱の中心に立ち、久しぶりの水を楽しむように 操り続けた。
「ま、一度くらい遊んでやるさ」
ルーが水辺に近づいて来る。 ブルーは小さな水の馬を作って放った。 酒瓶の細工を見て気紛れに作り出した水の玩具。 ルーの肩や頭を駆けては崩れ、また現れる。 ブルーは昔よくこうやって小さな子供の相手をした事を思い出していた。 地上で言えば泥で人形をこさえてやるようなものだった。 懐かしい人々の顔が脳裏に蘇る。 楽ではなかったし、ろくでもなかったが不幸でもなかった。 悪意も存在したがそればかりじゃない。
ルーの手のひらで水の馬が跳ねる。 月明かりを浴びて水しぶきが夢のようにきらきら光る。 ブルーが笑った。 ルーの笑顔につられて子供の頃のように笑い出した。 水は青いふたりを何重にも取り囲んでは聞こえない シンフォニーを奏で続けた。
いつしか水の子馬は月明かりとは違う蒼い光を放ち ブルーの広げた両腕に飛び込んで消えた。
「...?」
ブルーの笑い声が止んだ。 暗い泉の金色の月明かりはいつか深い海の青と化している。 ルーを中心に青い光を放ちながら。
「嘘だろ...」
泉の中の海。 ブルーが思わず手を伸ばした瞬間、それは跡形もなく消え失せ ずぶぬれのルーがにこにこ笑っているばかり。
「...そっか...やっぱお前...」
ブルーはルーの手を引くと岸に上がった。 ブルーが予想した通りルーの濡れた全身はすうっと水を 吸い込むように乾いていった。 ブルーもそれは同じだった。 ふたりはそれから黙って帰り道を辿って行く。 街へ入るとまだ飲み屋や遅い店は開いている。 夕方、コーヒーを飲んだ屋台もまだやっていた。
「?」
何気に覗いた黒い肌の少年が泣いていた。 ひどく殴られた痕がある。 口は切ったのかすっかり腫れ、頬には乾いてもまた流れる涙で いくつもの筋ができていた。
「...ルー、お前先に帰ってろ」
ブルーは機嫌の悪い声でルーを先に行かせた。 屋台の少年の隣でやせた色白の貧相な男が小銭の箱を覗いては 怒鳴り散らしている。ブルーはこの状態を一瞬で理解した。 どう見ても親子ではない大人と子供。
「このクソガキめ、どうせ盗むんなら腹の足しになるものでも 盗んでくりゃいいんだ」
貧相な男の足下に色とりどりのキャンデーの包み紙が 転がっていた。多分少年はたったひとつも口に入れてないだろう。 ブルーは屋台に近づいた。
「...なんだ?てめえなんか用か」
男が喚いた。酔っている。 ブルーが笑った。泉とは違う悪意と敵意を含んだ顔で。
「コーヒーを売ってやがるくせに用かはねえだろ」
親指で軽く銀貨を弾いて見せた途端男も笑った。 見た者全ての気が重くなりそうな笑顔。 男は釣りすら出さずひったくって背中を向けた。 ブルーは少年からコーヒーを受け取ると顔を彼の耳元に近づけ 低い声で言った。
「やられたらやり返しな。 さもなきゃ一生支配されるぞ...」
驚いたように少年がブルーを見た。 言葉はよくわかっていないようだったが意味は通じたらしい。 ブルーは青い眼でほんの少し少年を見つめ、中指を立てた。
してやれる事などない。 ただ怒れ、とそれだけ眼で告げた。
「ブルー!」
ルーが駆け戻って来た。彼は黒い少年に微笑んだ。 腫れ上がった頬と唇が元に戻っていく。
「バカ!余計な事をすんじゃねえ」
ブルーがルーを掴んで歩き出した。 必要なものは他人が与えなくても本人が持っている。 それに気付くか気付かないかそれだけだ。 気付いた後どうするかも本人の勝手、 行きずりの他人が知ったこっちゃない。
黒い少年は痛みの消えた顔に触れ、何が起こったのかわからずにいる。 ルーは何事もなかったかのように手を掴まれて歩いた。
貧相な男がゆっくりと振り返る。 男は黒い肌の少年の顔を見ると、目を見開き呟いた。
「....悪魔だ...」
男はブルーとルーが見えなくなるまでずっと凝視していた。 黒い肌の少年は涙を拭うとコップや豆を片付け始めた。
祭りの少し前。
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