ぶらんこ
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歳のせいなのか? 姉たちといるとよく昔話に花が咲く。 夏に帰ったときにも色々話した。笑った。泣いた。
なんだろうなぁ・・・昔の、島の我が家には、とてつもない明るさがあった。 「貧乏子沢山」という言葉がそのまま当てはまる我が家にあった、底抜けの明るさ。 あれはどこから来たのだろうね? 姉妹4人が揃ったとき、そんな話になった。
相当の貧しさだった。と、今になってしみじみ思う。 その反面、当時は殆どの家庭が貧しかったでしょう・・とも思う。実際、そう思っていた、「どの家もおんなじ」って。 いやいや片親だったからね。やっぱりかなりの差はあったんだろうねぇ。。。
不思議なことに、自分達は「貧しい」という感覚がなかった。 厳密に言うと、貧しいという「認識」はあった。それがいつ頃からなのか?兄弟姉妹それぞれ、違うのだろうと思う。
「よその家とうちは違う」という気持ちは覚えている。 それは、父親が死んでしまって、もうこの世にはいない、ということ。 それは、もうどうしようもないことだということ。
「貧乏〜貧乏〜」と、近所の子供たちに囃された記憶はある。何度かあったと思う。 強烈に、そしてこれが最後だったと覚えているのは、小学校4年生の頃の教室でのことだ。 たぶん彼には、悪気というか本気というか、そういうのはなかったのだろう。 椅子の上に立ち、両腕を揺らし、他の子らを扇動するように面白可笑しく叫んだだけ。 みんなはくすくす笑っていた。 わたしは・・・恥ずかしい!と思った。そして、なんでバカにされるのだ?と、憤りを覚えた。 よく覚えていないが、悲しかった気持ちもあったかもしれない。でも「怒り」のほうが強かった。
・・・バカにするな!
そうだ。バカにされたのだ。貧乏だからって、バカにされたのだ。 それは不条理なことだ。それはあってはならないことだ。貧乏であることが何が悪い。 バカになんかされるものか。バカになんか、させない。
・・・っていうのがいつも根底にあって、それで勉強を頑張ったような気がする。
というのは姉の見解。なるほどそうだったかもしれない。そう言われてみればそうだったのかもしれない。 あぁ なんというか・・・イヤラシイ・・・ははははは。
皆と同じ位置に立てるのが「勉学」。 覚えるべきことを覚えたり、頭を使わなきゃならんときは思いきり使ったり。
わたしは覚えていないが、父はとても教育に熱心だったらしい。 彼自身は充分な教育を受けられなかったが、非常に頭の切れる人だったそうだ。 兄や姉たちは父親のことが大好きだった。テストや通知表の成績が良いと父が嬉しそうだったので、余計に頑張ったそうだ。
そういう経験も、学ぶ姿勢に繋がったのだろうか。 そしてわたしの場合は、そういう姉たちを見てきたからか。
我が家は楽しいことだらけだった。笑ってばかりいた。お漏らししてしまうくらい、笑ってばかりだった。 もちろん泣くこともいっぱいあった。きょうだい喧嘩も沢山あった。 わたしはというと、ちぶって(拗ねて)家出したことも数知れず(笑)
それでも我が家が一番だった。
あの明るさは、どこから来たのだろう。 思い出すと今でも笑いの零れる、我が家のあの雰囲気。
島の、あばら家のような、古いふるい、懐かしい我が家の 明り。
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