ぶらんこ
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2009年02月13日(金) 明り

歳のせいなのか?
姉たちといるとよく昔話に花が咲く。
夏に帰ったときにも色々話した。笑った。泣いた。

なんだろうなぁ・・・昔の、島の我が家には、とてつもない明るさがあった。
「貧乏子沢山」という言葉がそのまま当てはまる我が家にあった、底抜けの明るさ。
あれはどこから来たのだろうね?
姉妹4人が揃ったとき、そんな話になった。


相当の貧しさだった。と、今になってしみじみ思う。
その反面、当時は殆どの家庭が貧しかったでしょう・・とも思う。実際、そう思っていた、「どの家もおんなじ」って。
いやいや片親だったからね。やっぱりかなりの差はあったんだろうねぇ。。。


不思議なことに、自分達は「貧しい」という感覚がなかった。
厳密に言うと、貧しいという「認識」はあった。それがいつ頃からなのか?兄弟姉妹それぞれ、違うのだろうと思う。

「よその家とうちは違う」という気持ちは覚えている。
それは、父親が死んでしまって、もうこの世にはいない、ということ。
それは、もうどうしようもないことだということ。


「貧乏〜貧乏〜」と、近所の子供たちに囃された記憶はある。何度かあったと思う。
強烈に、そしてこれが最後だったと覚えているのは、小学校4年生の頃の教室でのことだ。
たぶん彼には、悪気というか本気というか、そういうのはなかったのだろう。
椅子の上に立ち、両腕を揺らし、他の子らを扇動するように面白可笑しく叫んだだけ。
みんなはくすくす笑っていた。
わたしは・・・恥ずかしい!と思った。そして、なんでバカにされるのだ?と、憤りを覚えた。
よく覚えていないが、悲しかった気持ちもあったかもしれない。でも「怒り」のほうが強かった。

・・・バカにするな!


そうだ。バカにされたのだ。貧乏だからって、バカにされたのだ。
それは不条理なことだ。それはあってはならないことだ。貧乏であることが何が悪い。
バカになんかされるものか。バカになんか、させない。


・・・っていうのがいつも根底にあって、それで勉強を頑張ったような気がする。

というのは姉の見解。なるほどそうだったかもしれない。そう言われてみればそうだったのかもしれない。
あぁ なんというか・・・イヤラシイ・・・ははははは。


皆と同じ位置に立てるのが「勉学」。
覚えるべきことを覚えたり、頭を使わなきゃならんときは思いきり使ったり。


わたしは覚えていないが、父はとても教育に熱心だったらしい。
彼自身は充分な教育を受けられなかったが、非常に頭の切れる人だったそうだ。
兄や姉たちは父親のことが大好きだった。テストや通知表の成績が良いと父が嬉しそうだったので、余計に頑張ったそうだ。

そういう経験も、学ぶ姿勢に繋がったのだろうか。
そしてわたしの場合は、そういう姉たちを見てきたからか。




我が家は楽しいことだらけだった。笑ってばかりいた。お漏らししてしまうくらい、笑ってばかりだった。
もちろん泣くこともいっぱいあった。きょうだい喧嘩も沢山あった。
わたしはというと、ちぶって(拗ねて)家出したことも数知れず(笑)

それでも我が家が一番だった。


あの明るさは、どこから来たのだろう。
思い出すと今でも笑いの零れる、我が家のあの雰囲気。

島の、あばら家のような、古いふるい、懐かしい我が家の 明り。





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