ぶらんこ
index|past|will
「貧乏の子沢山」という言葉があるが、我が家はまさしくそれだった。 おまけに、父が早くに亡くなり、その後は母ひとりでわたしたちを育てたので、本当に貧しかった。と、思う。
と、思う。と言ったのは、今になってそう思う。ということだ。 (至極不思議なのだけれど)当時、わたしたちはそう感じてなかったから。 もちろん、裕福だと思っていたわけでもなく、ただただ、他の人々と何ら変わらない、という風に感じていたようだ。 脳天気なこどもたちだったのだろう。
実際、母は(今になって話すのだが)わたしたちを見て、なんて馬鹿な子らだろう、と思い、また、それに救われた、と言う。
「ワキャ クヮンキャ ヤ フルムン ナティ ウヤ ヌ ウランタン ヌーチン カンゲラジ ヌーチン ヤジ タマンダム アソビカタ ジャヤー ッチ ウムイカタ。 カミサマ ヤ キャシ シュン ジャヤー ッチ アリガタ ナンヤー ッチ。」
かすかな記憶として残っているのだが(それももしかしたら姉から聞いた話を自分のものとして覚えているだけかもしれない) 幼い頃のこと。
わたしたちは、いつものように教会の庭で遊んでいた。 (教会の庭は村のこどもたちみんなのものだったので、信者も信者でない子らも、いつも一緒に遊んだ。) ある日、わたしが大きな子に苛められ、泣きながら家に帰ってきたらしい。 わたしを見てくれていた姉も、眼にいっぱい涙を溜めていた。 母はわたしが泣きながら言っていた言葉を聞いて、胸が痛んで仕方なかった、と言う。 泣かされたわたしは幼くて、その子の言葉を理解してはいなかったと思う。 でも、痛めつけるだけの威力を充分に持っていたのだろう。 姉はそのことをよく覚えていて、今でもその話をするときは熱が入る。
そんなわたしたちの様子を見ていた近所の老婆の一言が、母は忘れられない、と、今になって話してくれた。
「ビンボウ チ ヤキイン ヤ ダナン ウサール チュ ヤ ワァー ナンティ アラン ド タルン クヮ ガ イサール カン ショティ クー!」
わたしたちが「アンマ」と呼んでいた、とても怖そうな老婆だった。 その老婆が、母を励ましてくれただなんて、大きな驚きだ。。。
・・・
去年の暮れから母が来ていて、母の昔ばなしを泣き笑いしながら聞く毎日だ。
わたしはまだ、あの頃の母の年齢には至っていない。 けれども、こうして母の話を聞きながら、 いつか母の気持ちを、もっともっと理解できるようになるかもしれない。 そうだといいな、と思う。
あぁ・・・ラップトップがあれば、母の話を聞きながらタイプ出来るのになぁ。。。笑
|