ぶらんこ
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2004年11月04日(木) 自由

「宮崎方面」と、大きく書かれたボードを背中にしょいながら歩いている男の人がいた。
どうしよう。。。と一瞬迷ったが、通り過ぎるときにちらりと見ると、まだあどけなさの残った顔をした少年だったので、車を停めた。
なんとなく。危険ではないだろう、と思って。

こころが駆け寄って「志布志までですけど、乗りますか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「ありがとうございます!」と答えていた。
長いカーブの手前のほうだったが、後方にずらりと車が並び、ちょっと申しわけなく思った。
少年は、あまりにも長い間、歩いていたからだろうか。手足が思うように動かないのか、乗り込むのになかなか手間がかかった。


少年といっても、たぶん19・・・或いは20.。。いっても21くらいかな?
半袖のTシャツに短パン。出している両腕、両脚、もちろんその顔も真っ黒だった。

「ありがとうございます!よろしくお願いします。」
そう言いながら、彼は後部座席に座った。
荷物は大きなリュックひとつに、なにやらいろいろと入った手提げ袋が二つ。

彼が車に乗り込むと、
もわー。。。と、土か砂・・・埃かな?そういった大地の賜物がお日さまに照らされ、それが汗と混じったような、
そんな匂いがした。とても力強い、それでいて、優しい、懐かしい感じの。


志布志へ行くまでの間、彼の放浪生活を聞いた。
千葉を出発し、ヒッチ・ハイクをしながら本州、九州へと入り、つい最近までは沖縄で2ヶ月間、滞在していたという。
そして、昨日、鹿児島へと入り、今日は本州南端の佐多岬まで行ったらしい。もちろん、歩き&ヒッチ・ハイクで。
「結構、優しい人がいるもんで、乗せてもらえるんです。」と彼は言った。
彼のなかでは、わたしもその「優しい人」のうちのひとりなのだろうか。


彼の話は聞いていて、とても面白かった。
特別に話が上手いわけでもないのだが、彼がとても素直に喋るので、聞いていて、嬉しくなるのだ。
「沖縄の人って。。。なんていうか・・・湯船に浸からないんですよね。。。」
わたしが奄美大島出身だということを聞いた後だったせいか、彼はちょっとだけ遠慮しながら言った。
「え???そうなの???」
そう聞き返しながら、・・・あーーーでも、わかるかも。。。と、思ったりした。
島っちゅは往々にして「面倒くさがり」だから。
特に夏場だと、暑いのに、わざわざ熱い湯船に浸かろうとは思わないかも。
シャワーでいいや、と思ってしまうかも。
どうだろう?よくわからないけれど。

「お世話になった、どこの家でもそうだったんです。だから、ちょっと意外で。。。湯船が恋しいな、とか思っちゃいました。」
そんなことを言って笑っていた。


彼は来年は、アメリカへ1年間、留学するそうだ。
なんの勉強をしてるのか、とか、どこの大学なのか、とかは聞かなかったけれど
「すごく良い経験になると思うから、是非、行ってらっしゃい!」と、エールを送った。
「そうですよね!」彼は心から嬉しそうに答えた。来年まで待ちきれない、といった感じだった。



志布志に到着し、日南方面と書かれた標識の辺りで、車を停めた。
彼は車から出て荷物を降ろし、ごそごそと何かを取り出して恥ずかしそうに言った。
「これ・・・くずれちゃってて申しわけないんですけど、乗せてくれたお礼です。本当にありがとうございました!」
そう言って手渡してくれたのは、沖縄の『ちんすこう』というお菓子だった。
本当に、形がわからなくなるほど崩れてしまって、粉だらけだったので、袋の名前がないと、わからないくらいだった。


彼を見送りながら、身軽なことっていいなぁ。。。と、しみじみ思った。
自分のちいさな決断ひとつで、どこへだって行ける。なんだって、出来る。


でも、それは彼があの歳だから、とか、そういうことではないように思う。
もちろん、ある程度歳を取った大人には、家庭があり、社会的な立場があり、いろいろな役割がある。
その中でも、人は皆、自由であるはずなのだ。
精神の自由。

物理的なものでなく、精神的に「身軽」であれば。。。

帰り道、そんなことを考えながら、わたしもひとつひとつ、はずしていけるといいなぁ・・・と、思った。。。


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