ぶらんこ
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「宮崎方面」と、大きく書かれたボードを背中にしょいながら歩いている男の人がいた。 どうしよう。。。と一瞬迷ったが、通り過ぎるときにちらりと見ると、まだあどけなさの残った顔をした少年だったので、車を停めた。 なんとなく。危険ではないだろう、と思って。
こころが駆け寄って「志布志までですけど、乗りますか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「ありがとうございます!」と答えていた。 長いカーブの手前のほうだったが、後方にずらりと車が並び、ちょっと申しわけなく思った。 少年は、あまりにも長い間、歩いていたからだろうか。手足が思うように動かないのか、乗り込むのになかなか手間がかかった。
少年といっても、たぶん19・・・或いは20.。。いっても21くらいかな? 半袖のTシャツに短パン。出している両腕、両脚、もちろんその顔も真っ黒だった。
「ありがとうございます!よろしくお願いします。」 そう言いながら、彼は後部座席に座った。 荷物は大きなリュックひとつに、なにやらいろいろと入った手提げ袋が二つ。
彼が車に乗り込むと、 もわー。。。と、土か砂・・・埃かな?そういった大地の賜物がお日さまに照らされ、それが汗と混じったような、 そんな匂いがした。とても力強い、それでいて、優しい、懐かしい感じの。
志布志へ行くまでの間、彼の放浪生活を聞いた。 千葉を出発し、ヒッチ・ハイクをしながら本州、九州へと入り、つい最近までは沖縄で2ヶ月間、滞在していたという。 そして、昨日、鹿児島へと入り、今日は本州南端の佐多岬まで行ったらしい。もちろん、歩き&ヒッチ・ハイクで。 「結構、優しい人がいるもんで、乗せてもらえるんです。」と彼は言った。 彼のなかでは、わたしもその「優しい人」のうちのひとりなのだろうか。
彼の話は聞いていて、とても面白かった。 特別に話が上手いわけでもないのだが、彼がとても素直に喋るので、聞いていて、嬉しくなるのだ。 「沖縄の人って。。。なんていうか・・・湯船に浸からないんですよね。。。」 わたしが奄美大島出身だということを聞いた後だったせいか、彼はちょっとだけ遠慮しながら言った。 「え???そうなの???」 そう聞き返しながら、・・・あーーーでも、わかるかも。。。と、思ったりした。 島っちゅは往々にして「面倒くさがり」だから。 特に夏場だと、暑いのに、わざわざ熱い湯船に浸かろうとは思わないかも。 シャワーでいいや、と思ってしまうかも。 どうだろう?よくわからないけれど。
「お世話になった、どこの家でもそうだったんです。だから、ちょっと意外で。。。湯船が恋しいな、とか思っちゃいました。」 そんなことを言って笑っていた。
彼は来年は、アメリカへ1年間、留学するそうだ。 なんの勉強をしてるのか、とか、どこの大学なのか、とかは聞かなかったけれど 「すごく良い経験になると思うから、是非、行ってらっしゃい!」と、エールを送った。 「そうですよね!」彼は心から嬉しそうに答えた。来年まで待ちきれない、といった感じだった。
志布志に到着し、日南方面と書かれた標識の辺りで、車を停めた。 彼は車から出て荷物を降ろし、ごそごそと何かを取り出して恥ずかしそうに言った。 「これ・・・くずれちゃってて申しわけないんですけど、乗せてくれたお礼です。本当にありがとうございました!」 そう言って手渡してくれたのは、沖縄の『ちんすこう』というお菓子だった。 本当に、形がわからなくなるほど崩れてしまって、粉だらけだったので、袋の名前がないと、わからないくらいだった。
彼を見送りながら、身軽なことっていいなぁ。。。と、しみじみ思った。 自分のちいさな決断ひとつで、どこへだって行ける。なんだって、出来る。
でも、それは彼があの歳だから、とか、そういうことではないように思う。 もちろん、ある程度歳を取った大人には、家庭があり、社会的な立場があり、いろいろな役割がある。 その中でも、人は皆、自由であるはずなのだ。 精神の自由。
物理的なものでなく、精神的に「身軽」であれば。。。
帰り道、そんなことを考えながら、わたしもひとつひとつ、はずしていけるといいなぁ・・・と、思った。。。
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