ぶらんこ
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最近、お弁当の出来栄えに満足してしまう。 なかなかじゃないかぁ〜。。。と、ひとり、ほくそえむ。 でも、こころのクラスの子たちのお弁当を見たら、きっともっともっと、美味しそうでお洒落な感じなんだろうなぁ、とも思う。 見たいよな、見たくないよな。。。
母のお弁当ってどんなだったろうなぁ・・と思い出してみる。 よく思い出せない。 というか、彼女が食事を作るのは、正月の『三献(さんごん)』くらいだったように思う。
我が家の食事は、長女から順番に4姉妹で作っていた。 当然のことながら、末の妹であるわたしは最終的な食事係で、それは家を出るまで続いた。 いや、今でも実家に帰って食事を作るのは、このわたしなのだけれど。
母は仕事ばかりしていて、食事を作る暇などなかった。 寝る間も惜しんで仕事していたくらいだ。 今でも覚えているのだけれど、わたしが晩御飯を作り、もう少しで仕上がる、というときに、母の仕事場へ呼びに行った。 母は近くの紬工場で機を織っていた。 わたしか、弟が母を呼びに行くと、母はキリのいいところで仕事を中断し、家へ帰ってきた。 そして、皆で一緒に食事をする。 母は食後に少し眠り、そしてまた仕事へと戻っていった。
わたしたちは、母のことを、とても尊敬していたように思う。(変な言い方だけれど。) 母は、立派な『家長』だった。 母のためには、特別な献立さえも存在した。 たいしたものじゃない。 例えば、カレーを作ったとする。子供達はもちろんカレーを食べる。 でも、母のためにはカレーを作る際、途中で材料を小分けして、豚汁にしたり、或いは、煮込みうどんにしたりした。 なぜそうなったのか、よく覚えていない。 母が、「カレーを嫌いだ」と言ったわけではない。と、思う。 なぜなら、母は今、カレーを喜んで食べるし、驚いたことに揚げ物とかも好きなのだから。(最近まで知らなかった!)
どうしてあの頃、母のためにわざわざ特別に作っていたんだろう・・・と、不思議でならない。笑
わたしたちは交代で(じゃんけんの時もあった)茶碗を洗い、母のために寝床を準備して、先に眠った。 母は夜中近くに帰ってきて、眠った。
朝食はいつもパンだった。 朝になって、誰かが買いに走らされた。もちろん、わたしか弟が多かった。 菓子パンを人数分買ったりした。今考えてみたら、なんとも不経済だ。。。 食パンは古いトースターでトーストして食べた。 サイドにツマミがあって、それを下ろすとパンが焼ける、というやつだ。 触るとビビビッと手が痺れたりして、なかなかスリリングだった。漏電してたんだろうか?不思議だ。。。笑
子供の頃に痩せていたのは、栄養不良だったのかなぁ・・・と、今になって思う。 当時は自分が痩せてるとか、太ってるとか、そういった感覚もなかったのだけれど。
美味しい食事をいただける、ということはしあわせだ。 いや。 食事をいただいて、美味しい・・・と感じることは、しあわせだ。 美味しい食事になりますように、と願いながら食事を作れる、ということもしあわせだ。
食することって、基本的にひとをしあわせにするものだなぁ・・・と、最近、つくづく思う。。。。
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