ぶらんこ
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「もえはねぇ・・・」 とてもかわいらしい女性なのだが、(自分のことを名前で呼ぶような年齢じゃないだろうに。。。) そう思って、ついそのことを口にしたことがあった。 しかし、それを聞いていたこころが、今になってにやにやしながらこう言うのだ。 「マミィもそうじゃん。」
・・・言われてみればそうだった。 わたしはときどき自分のことを話すときに「まぁこは・・・」と言うことがある。 でもそれは、家族・友人に対して話してるときだけだ。 いや、違う。 正しくは、対・とっても親しい人たち(@島っちゅ)だ。(ということに、最近気付いた) でもよく考えてみたら、島以外の友人や、或いは職場なんかでも、ふと気が緩んだときに、言ってしまうことがある。 素に戻ってしまってるのかもしれない。 つまり、標準語(?)で喋っている自分というのは、ちょっとした仮面をかぶった自分でもあるような気がする。 英語で話すときもそうなのかもしれない。英語だと必ず“I”と言う。
それにしても、なぜ自分のことを三人称(代名詞)で呼ぶのだろう?
たぶん、それはうちが大家族だったからなんじゃないかな、と思う。 忙しく動く母に、これを要求しているのは「まこ」だよ、ということを明らかにしなければならなかったのだ。 母はわたしの姿を見ていないだろうから(そんな暇はなかった)、 かつ、声だけでは誰が誰だかわからないだろうから(声は皆、酷似している)・・・etc. ちょっと強引か? なぜならそれが現在まで残ってる、ということの理由にはならんわけだし。 つまりは幼子の心理そのまんま、ということなんだろうなぁ。
三人称というのは、「わたし(=話し手)」でなく「あなた(=聞き手)」ではない別の人(或いは物)だ。 自分のことを「名前」で呼ぶということは、「誰か(第三者)」がこうだよ、と、いわば離れた視点で言うことだ。 「自分」なのだけれど、それを口にするときにはほんの少し、自分ではないような感覚を伴うような気もする。 なのに同時に「わたし」を強く示しているのだから、不思議だ。。。 結局は自己主張が強い、ということなのだろう。
やっぱり「幼い」ってことなんだな。。。
「でさ、○○ねぇちゃんもそうなんだよね!」 こころにそう指摘され、ん?と思った瞬間、大笑いしてしまった。(○○ねぇちゃんというのは、わたしの姉のこと) いやはや、よく見てる(聞いてる)モンだ。
「しかも、それが38歳と41歳の会話なんだよ!」
・・・余計なお世話です。
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