ぶらんこ
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こころの学校が始まった。
彼女は前日の真夜中までかかって宿題をしていたが、結局全部は終わらなかった。 「終わらんでもいいよ」とわたしが無責任なことを言うと、彼女はひどく憤慨していた。 必至になってやっている姿を見ていると、のらりくらりとぐぅたらに過ごしていた日々を思い出さずにはいられない。 でもまぁ、こんなモンなんだろう。 自分が納得するまでやらなければ、どっちにしても苦しいのは自分自身。 誰も助けてはくれない。 なぜって、自分を助けることが出来るのは自分自身だけだからね。 ・・・教えられなくても、それを知っているんだろうなぁ。 こころを見ていて、そんなことを思った。 宿題の提出は6日らしい。さて、どうなるか。
それにしても、どうして夏休みに宿題なんかあるのだろう。 先生方だって、添削するのが大変だろうに。。。(いや本当に!)
アメリカの学校は宿題なんて野暮なモンはない。 夏休みは生徒も先生も、思いきり休むのだ。(たとえ高校であろうと、部活すらない。) それが「夏休み」。 100% vacation だから、こころにとっては生まれて初めての、夏休み宿題地獄を経験したというワケ。
7月の終わり頃だったか、どこかのある教授がこんなことを言っていた。 「夏休みが長過ぎるので3週間に減らしてはどうか、という動きが出ている」 たったの、3週間??? 唖然、としてしまった。 そのヘボ教授曰く、「夏休みを減らすことにより学力低下が防止できる」とのこと。
なんてなんてナンセンス。
夏休みの宿題にしろ、夏休み短縮にしろ、どうして一時的な学力低下をそんなに気にするのだろう? それは一重に、教育の現場に立つ先生方が苦労するから・・ということなのではないか??? 「ゆとりの教育」という、名ばかりのシステムにこそ、問題があるんじゃないの???
わたしは、基本的に「忘れる」ことは良いことだと思う。 忘れてこそ、と、さえ思う。
こころの英語力の低下を先生方が気にしてくださっている。 夫も心配している。 実際のところ、こころ自身も気にしているようだ。ちょっと弱気になっている。 でも、わたしはまったく気にならない。 忘れてもいい。 なぜなら、それは一時的なものだから。 こころがこの先、再び英語の世界に入ったとき、それは何倍もの大きさとなって彼女に戻ってくるだろう。 忘れていた分だけ、より強固なものとなる。 だから、全然、問題なし。
「なんでわかるの?」と、こころが聞く。 「マミィがそうだったからだよ」
・・・こころ、相手にせず。
でも、絶対にそうだってば。 だから、どんどこ、忘れなさい! (この次までに、もっと説得力のある説明を考えておくから)
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