スイス日記
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2004年07月07日(水) 今日はシリアスモード。

先週の朝日インターネットキャスター、松尾慈子の漫画偏愛主義http://www.asahi.com/column/aic/Fri/d_love/20040702.htmlを読んでせつなくなった。

「とかげ」、私もそうだ。たかが仕事のために、大事な大事ないろんなものをとかげのしっぽの様に捨ててきた。子供の頃からこの仕事に就きたいと思っていたので(かなり変な子供だったんです。でも1年か2年前には男の子の夢No.1になぜかなってました。)、ある意味、夢を叶えた幸せな人生かもしれない。でも、子供の頃に、夢を叶えるために、(特に女は)どれだけのものを犠牲にしなければいけないか、そのリスクについて誰も教えてくれなかった。そういえば、高校時代、お母さんがちゃんと仕事をしている友達は、まず第一に結婚しても仕事ができるということを第一にして、薬学部とかそういうのを目指していたような気がする。私はというと、自分のしたいことを選ばずに、そんな打算で職業を選ぶなんてと、ちょっと軽蔑していた気がする。でも、今、今になって思います。もし、高校時代や大学時代に、こういうリスクについて誰かから学んでいたらと。ナイーブだったし、青かったしで、そんな時に教えてもらっても聞く耳持たなかったかもしれませんが。でも、母親が専業主婦だったので、こういう大変さって何にも考えてなかったんですね。

どんな仕事でも人生を賭けてまでするような仕事ではないと思うんです。たとえ、プロ野球選手とかオリンピック選手とかそういう特殊な職業だったとしても。でも、女の人生ではいろいろなステップで仕事かこれかっていう二者択一を常にせまられてしまいます。で、その時に、二者択一なら仕事を取るしかないなーといっつも思ってしまうんですね。そんなにすごいだいそれた仕事でもないし、自分がいなくなっても世の中回っていくし、代わりの人はいくらでもいるし、仕事が好きなわけでもないし。でも、やめられないんです。悲しいですねー。実際やめたら、生活していけないというのと仕事を辞めて何者でもない自分になるのが恐いただそれだけの理由です。

子供にとってはお母さんは一人だから、仕事よりお母さんをとりましたーみたいなそういう話、よく聞きますよね。あれってすごい勇気あるなーっていっつも思います。まだ20代だった頃には、親戚のおばさんなんかに、あんたは子供にお母さんは昔こんなことやっててんでって話すために、大学いったり、一生懸命仕事してるんやろ?ってよく言われてました。今ではもう言われませんが。

でも、私はそういう自分以外の何かのためにってできないんです。彼氏のためにスイスに来るのを諦めるとかね。いっつも自分のための選択、そうすると必然的に仕事を選んでる。悲しい人生ですね。





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