2006年08月12日(土)
私のどこか
「映画でもどうですか?」
別れた次の週末に早稲田君から連絡が来て、 その次の週末に一緒に映画に行った。
一番最初に一緒に行った はじめてデートした映画館。
映画を見た後手をつないでぷらぷらして、 ご飯を食べてお酒を飲む。
彼は真面目な顔をして真面目な話をするように 別れた経緯のおさらいを始める。 彼の目を通す以上、自分のことはすべて棚に上がった状態で 節々で、私に対する非難めいた気持ちが見え隠れする。
要は、何の前触れもなく「帰って」と急に私に言われたのが発端であり、 それまで仲良くしてたのに、そんなこと言われ追い出されて深く傷つき、 それからどう接していいのか分からなくなってしまって 連絡もしたくてもできなかった だそうだ。
ほんと、自分がかわいいばっかりだなこの人は。
私は早稲田君と話をする度に 無償の愛というものを考える。 与えることに見返りを求めない、ということ。
見返りってどんなものなのだろう。 ・浮気をしたら6億2500万円の罰金 ・故意に大きな嘘をついたら1億2500万円の罰金 ・怒って叫び声を上げた時は125万円 ・1週間に最低4回はセックスをすること とか?
まぁこれはジェニファー・ロペスが ベン・アフレックと婚約した際に出した条件の数々ですが (当たり前だが婚約は白紙になった) そこまで極端でないにしても、
1時間おきに電話してね とか デートの費用は全部男が持つべきよね とか 記念日には指環を買ってね とか 車で送り迎えしてね とか そんなものなのだろうか。
そういったものが欲しい ならそもそも早稲田君という人選から間違っているわけで、 私はそんなものは望んだことはない。
でも私はこのだらしがなく魅力のない男を、 自分に都合よく遅刻と歩きタバコを容認する甘いモラルの男を、 注意されてもそんなくだらないことすら是正できない男を、 まったくもって愛しいとは感じない。
これも 「見返りを求めている」 というのだろうか。
彼が思い通りにならないから?
そもそも私は彼に何も与えていないのかも知れない。 確かに不満しかぶつけていないからそれは 望んでばかりということなのかも知れない。 だから彼も何も応えないのかも知れない。
私が愛さないから彼も私を愛さないというのであれば やはり私達はただの知人であることが ごく自然な姿なのではないかと思う。
「で、また付き合う気はあるの?」
私は分からないと答える。
私の理性も本能も 早稲田君に対して大きな憤りを抱き その存在を拒絶している。 じゃあ私のどこの部分が こうしてデートのやり直しの誘いに応じ、 おかしな打診をきっぱりと否定もせず いつまでも彼に対する期待を捨てられないのだろう。
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