2006年07月16日(日)
連休2
昼過ぎに起きてきて顔を洗い食卓に座ると 猫が寄ってくる。 泣きはらした顔は 寝過ぎてむくんだだけのようにも見え、 私は普段からぐうたらでよかった なんて考えながら朝ご飯をかじる。 早稲田君はやはり連絡なぞくれない。 私は日々、キッカケを探し始めるようになっている。
この3日間、連絡がなかったら今度こそキッチリ別れる。
この猫は飼い始めて1週間ほどの、まだ子猫で、 盆暮れ正月でもないこの時期の帰省の 都合のいいイイワケでもあった。
前に飼った猫は 家の中ばかりではかわいそうだ という、ちょっとずれた母親の愛情を受けて外に連れ出され、 車にびっくりして飛び出し あっ という間もなく亡くなった。 1年足らずの短い命だった。 住宅街で車も人もそんなに通るようなところではなかった けれど、それゆえに猫は窓越しにすら車を見たことがなかったのかもしれない。 猫が亡くなってすぐの頃、祖母が倒れ、 母は看病に付きっきりになったのでせめてもの慰めに 猫はそのために去ったのだ と母は自分に言い聞かせていたりしたが 祖母もいなくなってしまうと ふたつの命の喪失感が一気にきて何だか そのままひとりで暮らさせるのは忍びなく 「もう一度飼ってみたら? 今度は外に出さないようにして。」 「そうねぇ、いい子がいたらね。」 なんて言っていたりして
猫が嫌いな人は住宅街では特に目立つもので オサレなアメリカ製輸入住宅の景観を損ねてでも ペットボトルを敷き詰めていたりするし、 ネコエイズも蔓延しているようだし、 事故を抜きにしても猫にとって外は暮らしにくいだろう。
それから母は足しげくペットショップに通っていたらしく、 いつ行ってもいる、 いつまで経っても売れない、 生後4か月を過ぎてとうとう隅に追いやられた、 何だかいじけた顔の猫に相当な情を移し、ついに飼うに至った。
毛足が長くまさに家猫 といった風情の耳の折れた猫は母の後を付いて回る。 ガーフィールドに似ている。
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