2004年07月03日(土) |
チェルノボーグ:白い神と黒い神 |
Tchernobog:チェルノボーグ(黒い神)
初め世界は全て水に沈んでいた。 水には白と黒のホオジロガモが泳ぎ、それぞれに 白の神と黒の神が乗っていた。 黒の神は白の神より言われた通り水底から土を取ってきた。 白い神は平原と広野を創った。 黒い神はその上に岩山を乗せた。 やがて白と黒の神は軍勢を持ち争い始め、 長い戦いの後、黒の神は大地に落とされた‥‥。
薔薇は終わり百合の香がむせる様に漂う季節、私は独りの時間を持つようになった。理由は突然の私の貴族の称号にあり、今まで対等な立場でいた使用人仲間が私との間に距離を置くようになったからだ。妬みもあったのだろうが、彼らには私が一生ファルネーゼ様の面倒を見るようになったのだと、半ば哀れみの気持ちも抱いていた様に思える。 遠巻きの憐憫の視線‥。 私は本を読むことをおぼえ、時間を過ごす事をおぼえた。
「‥‥!」 中庭の椅子に座っていた私の背後から、ファルネーゼ様が服地の上から私の腕に噛みついたのだ。 「つまらないわ。最近お前は何をしても呻き声一つあげないのだもの。私を放っておいて何をしているの?」 血が滲んだろうか?子供の顎の力は案外強いものだ。 「‥‥本を読んでいました。ファルネーゼ様はご用があるとの事でしたので」 「ふ〜ん、どんな内容なの?」 「ずっと北の国の神様の話です」 「読んで聞かせて」 「はい?」 「お前がその本を読んで私に聞かせるの。きちんと終わりまでね」 「え?は、はい‥」
初め世界は全て水に沈んでいた。 水には白と黒のホオジロガモが泳ぎ、それぞれに 白の神と黒の神が乗っていた‥
要領を得ないまま私が朗読を始めると、ファルネーゼ様はもう一度私の二の腕に噛みついた。肉を噛みちぎらんばかりの力を込めて。
「ぐっ‥」
私は苦痛を喉の奥で押し殺し、北の国の神々の話を読み続けた。
‥‥長い戦いの後、黒の神は大地に落とされた‥‥。
「これで、終わりです」 「ふう‥」
噛みつくのをやめたファルネーゼ様の額は、うっすらと汗ばんでいた。
「北の国には神様が沢山いるの?」 「さあ‥私は存じません。ただ本を読んだだけです」 「神様はお一人だけよ。良いことも悪い事も一人でお決めになるの。そして悪い子は火にくべられるのよ」 「‥‥」
私は聖都の神なるものを、幼いこの頃から信じていなかった様に思う。
「もう少ししたら舞踏の教師がくるわ。いつもの様にお前が相手をするのよ。先に行って待っているわ」 そう言ってファルネーゼ様は私の返事も聞かずに、舘の方へ中庭の花々の中に消えていった。
「‥‥」 私は服の袖をまくり、ファルネーゼ様に噛みつかれた痕を見た。服地の上から噛まれたというのに、その傷から血が滲み出ていた。 百合の花の香は、何故か血の匂いに似ている。 ファルネーゼ様のそういう行いの意味を、まだ幼かった私は解らなかった。
『セルピコ、もしも白い神と黒い神がいるならお前はどちらの側?』
答えかねる質問だった。たぶん、この庭の白い神と黒い神は表裏一体であろうから‥。
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