小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

サイトアドレスが変更されました。詳しくはトップページをごらんください。

日記一括目次
笛系小ネタ一覧
種系小ネタ一覧
その他ジャンル小ネタ一覧



衣替えの朝に(笛/渋沢と三上)。
2006年10月01日(日)

 衣替えの朝は戦場だ。









「一年、全員一列横隊に整列!!」

 天の啓示のような声が松葉寮、二階廊下に響き渡った。
 秋雨前線が空を泣かせている十月一日の早朝。前部長兼、寮長の渋沢克朗の一声に、各個室にいた部員たちが一斉に廊下に整列した。
 夏季には見られなかった濃い色のブレザーの肩が、長い廊下に隙なく並ぶ。
 下半期が今日から始まる。それに合わせて毎年この日に行われるのは、一年生向けの制服点検の日だった。
 ずらりと並び、緊張の面持ちを隠せない入学半年目の彼らを軽く見渡し、渋沢はその朗とした声を発する。

「昨日も言ってあるが、今日から冬服だ。ただし、二週間だけは中間服としてブレザーの着用が各個人の判断に委ねられる。暑い日は脱いでもいいが、どこかに置き忘れて来るなよ」

 元キャプテンの言葉を冗談だと思ったのか、一年生の間からわずかな笑いが漏れる。しかし渋沢にとっては冗談ではないのだ。
 例年、置き忘れによる紛失で泣きついてくる下級生は必ずいる。名前入りの制服とはいえ、同じデザインであるがゆえに、一度他人のものと紛れると探すのは困難だ。
 その上教師による服装点検の日は、必ずブレザーの内側にある名前刺繍もチェックされる。だからこそ、紛失した生徒は躍起になって己の上着を探す。
 部員が制服一式のうちどれかを紛失した場合、探すために力を尽くさねばならないのは寮長の役目だった。
 渋沢は笑いには応えず、さらに続けた。

「ベスト、セーター、カーディガンの着用は許されるが、学校指定のものと決められている」

 まさか、指定外のものを着用しているわけがない。
 念のため渋沢は言ってみたが、ここ数年間で寮生が武蔵森ブランド外の服を着て登校したことはない。武蔵森は規則そのものはあまり厳しくはないが、罰則者には厳罰が与えられる。入学時に先輩たちが誇張してその厳罰の体験談を語ることも新入生への抑止になっている。
 どこの世も、慣れぬ一年目というのは緊張に満ちているものだ。加えて先達たちも一年生の服装には自分たちより気を配るため、一年生へは部長がそうがみがみ言う必要が無く、渋沢も多少は気が楽だった。

「で、だ。とりあえず全員今日はその格好で登校するように。また、夏場になってから早朝練習の後ジャージで教室に行く部員がいるようだが、基本的にまず制服に着替えてから席に着くように。職員室から厳守するよう言われている。わかったな?」

 はい、と短く気持ちの良い返事する一年生に、渋沢もうなずいて微笑する。これだから一年生は良い。だんだん慣れてくる三年相手となると、自分が小姑かと思うほど口を酸化させる必要がある。

「規則は面倒だと思っても、守らないことで部全体が迷惑を被ることもある。連帯責任と忘れずに、あと半年頑張ってくれ。では解散」

 ありがとうございました。
 その言葉を唱和し、一礼した一年生は個別に部屋へと戻っていく。
 彼ら全員が室内に消えるのを見届けず、渋沢もくるりと体を反転させた。次は二年生だ。衣替えの日は毎朝これを学年全員にくり返す。
 補助資料として持っている武蔵森学園に関する規則などをまとめたファイルを右手に持ち、階段を上がろうとした渋沢の前に、ふと影が落ちた。

「三上」

 いつも通りの不機嫌そうな面構えで階段を下りてくるのは、渋沢と同室の三上亮だった。
 一歩一歩階段を下りるのすら億劫そうなその三上を見上げながら、渋沢は苦笑した。三上は長袖のシャツこそ着ているものの、ネクタイの存在が欠けている。

「起きたのか。ところで、ネクタイはどうした」
「後でする。なぁ、お前裁縫道具みたいの持ってねぇ?」
「裁縫?」

 どういうことだと渋沢が怪訝そうな顔を作るのとほぼ同時に、三上は渋沢のいる階段の下から三段目で足を止めた。彼はそのまま、渋沢のほうへ右腕を差し出す。

「ボタン取れてるのに、さっき気づいた」
「なるほど」
「春先に長袖仕舞うときに、取れかけてた覚えはあったけど、つけるの忘れたままにしちまった」

 袖口のボタンは、シャツ全体からすれば細かい部品だがあると無いとでは手首を包む感触がまるで違う。その上、見た目のだらしなさが目立つ。外してたくし上げれば多少はごまかせるが、武蔵森の服装規定ではイエローカードの領域だ。

「自分のはどうした」
「家庭科の実習で持ってってからそれっきり。他の連中も似たり寄ったり」
「そういえば、三年は一学期後期は被服の実習だったからな…」

 大方、ロッカーあたりに全部入れてそのままになっているのだろう。実は渋沢もその仲間だった。

「困ったな。俺のところには針はあるんだが、ちょうど白い糸が切れている」
「マジかよ」

 そうなると、他学年に借りるか、寮の管理人のところに行くしかない。
 露骨に面倒そうな顔をした三上が、左手で自分の前髪をかき回してため息をついた。

「あーめんどくせ。いいや、今日はボタンなしで行く」
「ダメだ。毎年この日は風紀指導が入るって知ってるだろう。引退したからって三年が引っかかってどうする」
「ブレザー着ときゃわかんねって。後でつけるから」
「馬鹿言うな」

 べしり、と渋沢は右手にあった厚さ3センチほどのファイルを三上の前頭部に軽く叩きつけた。
 ゆっくりではあったが、その重みの分の痛みはあったのだろう、ファイルをどかした後の三上の顔は一層不機嫌になっていた。

「規則は守れ。やるべきことはやれ。それがわからないほど子供かお前は」
「…お前の倫理観には暴力は可って書いてあんのか?」
「時と場所を選べと書いてある。つべこべ言わず、やれと言ったらやれ。二年生の誰かなら裁縫道具持ってるだろう」

 ほら行けすぐ行けさっさとやれ。始業ベルは待ってくれないぞ。
 真顔で脅しつける渋沢に、さすがの三上も折れた。何より、渋沢の右手の凶器は脅威だった。

「へいへいわかりました」

 くそ、と面倒そうな舌打ちをした三上の品の無さを、渋沢は鷹揚に見逃した。
 そして、ふと思いついたことを去り行く友の白いシャツの背に投げかける。

「なぁ三上、他のシャツはないのか?」

 よもや、替えのワイシャツを持っていないなど三年目にして有り得ない。
 三上がぴたりと足を止めた。階段の手すりに触れている、指の長い手まで凍りつかせた彼は、数秒の後に渋沢のほうを振り返る。

「てめ、さっさとそれ言え」

 限りない渋面だった。三上にしては珍しく、本当に心から己を恥じている顔だと渋沢は思った。

「そーだよそれがあったんだよ! バカこのさっさと言えよそれ!」

 朝であることを忘れるような大きな独り言と共に、三上亮は猛然と階段を駆け上がっていった。ずだだだ、という闘牛の突進のような音が螺旋の階段にこだまする。
 独り残された渋沢は、「うーん」と呟き、こめかみを指で掻いた。
 どうやら本当に、三上亮はスペアの存在を失念していたらしい。
 この分では、三上以外にも衣替えによる大小さまざまな問題が発生しそうだ。だいたい前期の制服なぞ、とりあえずクリーニングに出した後は適当にクローゼットの隅に押し込むものなのだ。そして前もって点検しておくような用意周到な男子はなかなかいない。
 あと二十分で残りの学年を終え、三上の総点検をした後、渋沢も登校しなければならない。
 今年は、順当に終われば良いと思う。
 今頃大騒ぎで制服探しをしているだろう自分の学年の者どもを思い出し、渋沢克朗は下半期一日目の朝を迎えた松葉寮を歩き出した。









************************
 10月1日は三渋の日です。
 という感じで、下半期一日目を迎えた、元部長さんの日常でした。
 渋沢が三上に怒ったとき、ネクタイ掴んで首を絞めるような動作をさせるつもりだったのですが、うまく入りませんでした。無念。




<<過去  ■□目次□■  未来>>

Powered by NINJA TOOLS
素材: / web*citron