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再録:思い出ひとつ5(笛/武蔵森)。
2005年10月21日(金)
絶好の運動会日和だと民放のアナウンサーが笑っていた。
武蔵野森学園の体育祭は縦割り4ブロックのチームを作ることから始まる。 夏休み前に各学年の中のクラス代表が抽選をし4色に分かれた後、他の学年の同色クラスと組むことになる。その各軍それぞれチームカラーがあり、ブロック名には東西南北4つの方角が冠せられ、当日はその4色が競技ごとの得点の総合で順位を争うことになる。 そして縦割りということは、学年が違っても同じチームに属する可能性がある。同じチームであれば準備段階の打ち合わせから当日の応援席まで共にすることになり、学年を越えて何らかの関係がある生徒同士にはある種チャンスでもあるのだが、渋沢克朗の運はここでも悪かった。
「…お前、実はツイてない男だろ」 「……………」
校庭のトラック円周沿いに作られた生徒用応援席で、渋沢は憮然とした表情をどうにか作らないよう努力していた。 問題の体育祭当日、開会式直後の十時台は体育祭としてまずまずの盛り上がりを見せている。
「あいつ藤代たちのクラスだから南軍だろ? 一番向こうじゃねぇか」 「…放っておいてくれ」 「ブロック違うわ部活違うわで、お前こりゃ今日応援してもらおうなんて考えねえほうがいいぞ」
当日用プログラムを眺めながらの三上の発言は他人事だと言い切っていた。
「いいんだ。今日の俺はブロック優勝と部活リレーのために生きる」 「ったりめーだボケ。女に左右されるような浮付いた態度取ってるから陸部に逆恨みされんだよ」
言っていることが相当無茶苦茶である。 今日の三上はいつにも増して機嫌が悪いな、と渋沢はそれぞれが持ち込んだ椅子に脚を組んで座っている三上の眉間の皺をちらりと見る。 そこに、ぱたぱたと勢いのある足音が近付いてきた。
「渋沢せんぱーい、写真いいですかー?」 「三上先輩もご一緒に!」
来た、とサッカー部の誇る二大有名人の片方はややひきつった笑みを浮かべ、片方は露骨に舌打ちした。 カメラ片手に集まってくる女子生徒に、渋沢は曖昧に笑いながら立ち上がった。
「いや、俺は次の競技の召集かかってるから」 「おい渋沢、放送聞こえねえぞ」 「ははは聞こえたじゃないか三上。じゃあそういうことで」 「待ちやがれ」
一人犠牲にされてなるものかと、三上は渋沢が羽織っていたジャージの裾を掴む。
「離してくれ、三上」 「一人で逃げようなんて考えんじゃねーよ。あ、こいつ写真撮られんの好きだから自由にやってくれ」 「えーでも三上先輩も一緒がいいですよー」 「ねー?」 「じゃああたし渋沢先輩の右側取ったー!」 「あ、ずるい! 私三上先輩の右腕ね!」 「なら私二人の真ん中!」 「うわ何それ! ずるすぎ!!」 「もーとりあえずいろいろ位置変えて撮ってこ! はいチーズ!」
乙女の迫力に押され、気付けば年下限定で女子生徒に囲まれた撮影大会が始まっていた。 男相手なら腕に触れられようとも振り払えるが、女の子相手ではそうもいかない。くそうと思いつつ動けない二人組に、写真を求める人数はさらに増えていく。 すでにどこを向けばいいのかわからないまま曖昧な笑いを浮かべる渋沢に対し、三上のほうは愛想笑いをする気など毛頭ない。
「ちょ、てめえらいいかげんに」 「三上」
諦めろ、と渋沢は青筋を浮かべかけた三上に視線で言った。 怒鳴って蹴散らすのは簡単だったが、それはそれで彼女たちに失礼だ。何より穏便な手段ではない。それこそ運動部の盟主たる男子サッカー部らしくない、と自分たちでは思っている。 三上も渋沢の言いたいことがわかったのか、渋々口を閉ざした。
「盛況ね」
そこで彼らの助けとなったのは、年下ではなく同じ年の女子生徒だった。 揶揄でも嘲笑でもない笑みを浮かべて彼女が近付くと学園有名人の写真撮影に興じる女子生徒たちがぴたりとシャッターを押す手を止めた。
「写真を撮るのも構わないけど、ここで集まると周りの迷惑だし、トラックに近い場所でフラッシュ焚かれると競技妨害だと間違われかねないから移動してもらってもいい?」 「あ、はーい。すみません、会長」 「こちらこそ盛り上がってるところにごめんなさい。それから、三年男子はあと十分足らずで200メートルリレーの召集かかるからそれまでに解放してあげてね」 「はい、わかりました」 「……今すぐ助けねぇのかよ、彩」
不満げに言ってきた三上に、彼女は小さく笑う。
「いいじゃない。三上は付き合ってあげたら? それから…渋沢」 「何だ?」
彼女にちらと視線で促され、渋沢はやや離れたところで待っている風情の姿に気付いた。 秋風に細い髪を揺らし、渋沢のほうを複雑そうな顔で見ているのは彼にとって唯一の幼馴染みだった。
「ゆ…っ」 「…近付けないみたいで困った顔してたわよ。行ってあげたら?」 「ああ。悪い、俺抜けるな!」
早口で三上に言い、今度こそ乙女の追及を振り切って渋沢が駆け出して行く。 さすがにこればかりは止められず、残された三上は一目散に幼馴染みのほうへ走っていく友人の背を何ともなしに見送った。
「…あーあ、大丈夫かよ」 「さあ…。でも、愉快ではないでしょうね、彼女」
小さな声で彼女は言い、これだけ囲まれてればね、とまだ当事者たちがいるので言葉ではなく視線で三上に伝えた。 自分は複雑にはならないのかと三上は訊いてみたくなったが、元彼女がそんな戯言に付き合ってくれるとは思えない。何より改まって未練があることを知られるのも格好が悪い。
「…あのー、三上先輩?」 「あ?」 「写真、山口先輩と一緒のも撮っていいですか?」 「は?」 「あたしたち会長の写真も欲しいですー。かっこいいし」 「ありがとう」
如才なく答えた彼女の笑みに、三上は自分は彼女たちから一度もかっこいいなどと言われてないことを思い出した。
「ほらそういう顔しないの。笑わなくていいから、せめて普通にしてあげたら?」 「なんでだよ」
嗜めるように言われ、問い返すと同じ年の彼女はいつもの何かを諭す口調で言う。
「思い出作りよ。協力してあげたっていいじゃない。女の子好きでしょう?」 「…それなんか誤解招くっつーの」 「間違ってないわよ」 「お前なぁ」 「はいはい」
なぜかおかしそうにくすくす笑っている彼女を見、三上はやがて息を吐いた。 それから待っている年下乙女に言う。
「撮るなら早くしろよ」 「あ、は、はい!」
さりげなく隣の彼女の腕を自分のほうへ引き寄せながら、三上はこれも思い出作りなのだろうかと自分の青春を省みた。
打って変わって渋沢克朗といえば。
「あ、あのな、あれは…」 「………………」
ただの写真撮影大会になっていただけだと無言になっている幼馴染みに説明したが、見て解る通りのことであってもなぜか言い訳じみていることを痛感した。 後ろめたいことは何もないはずだと思ってはいるが、とりあえず女の子に囲まれ騒がれていたことは確かだ。 彼の幼馴染みはあらゆる感情が無い混ぜになった、複雑としか言いようのない表情のまま渋沢の目を見ようとしない。 澄んだ清々しい秋の空気に、彼女が髪をまとめた上からリボンのように結っているハチマキの端がゆらゆらと揺れているのを渋沢は上から見ていた。
「…リレーのこと、もう一回謝ろうと思って来たんだけど」 「え? ああ、あのことなら別に」
ようやく口を利いてくれたことに思わず笑顔になりかける渋沢克朗十五歳。 けれど長い付き合いで、これからの二分前後が勝負どころだと理解している。この二分で彼女の気持ちを沈静化させなければ、返ってくるのは最大級の嫌われ文句だ。
「…忙しいみたいだから、帰る」 「ちょっと待った」
ここでそのまま帰らせ、彼女が落ち着くのを待つ戦法も有効だったが、時間経過に望みを託すほど渋沢は悠長な性格をしていなかった。 背を向けかけた腕を掴み、自分のほうを向かせる。
「ごめん。俺が悪かった」
不愉快にさせただろう自覚はあった。個人的な経験からいえば行事の類ではよくあることなのだが、自分に明らかに好意を向けてくる相手がこうであったら不誠実だと大抵の人間なら思う。 けれど彼女はストレートな謝罪にこそ、表情を変えた。
「なんで謝るの? 謝る必要ないでしょ。…別に、何かされたわけじゃないし」
まずい。お約束の展開になってきた。 心ひそかにこの先を予見しながら、渋沢はとりあえず方向転換を試みた。
「あ、そう…だな」 「……………」
気まずい空気が流れた。 例のリレー情報に関して、彼女なりに責任を感じているらしくあれ以後渋沢を始めサッカー部を避けていることは笠井からそれとなく聞いていたが、そこからさらにさっきの光景は追い討ちだったようだ。 これで面と向かって嫉妬でもしてくれるものなら、それもいいと思えるのだが、どう見ても怒っている顔で怒っていないと言い張るのが渋沢の幼馴染だ。 何を言えばいいのか渋沢と同じようにわかっていなさげな彼女は、やがてうつむいた。
「…克朗って、八方美人」
桜色の唇からこの上ない凶器が飛び出した。 言うなり彼女は唇を噛んで踵を返す。 思いきり胸を穿たれた渋沢はその場で固まっていた。
「…それはないだろ……?」
しばらく経ってようやく出て来た否定の言葉も、彼女には届かない。 空の青さが何だか切ない。
出来ることならその場でしゃがみ込みたくなった渋沢の耳に、三年男子200メートルリレーの召集を促す放送が聞こえた。
*************************** その5。 ヒロインズがデフォルト名使用中です。そういうのがお嫌いな方、本当にすみません。
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