小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
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ロングレイン5(笛/真田一馬)。
2005年02月02日(水)

 雨が降ってる。ずっと、ずっと。








 生きていくのに必要なものは何だろう。
 水、たべもの、空気、睡眠、たくさんの物理的なものを摂取してさえいれば生きていける。生きてはいける。けれどそれはただ『生きているだけ』で。
 生きていくこと、ではない、気がする。
 完全にではないにしろ、社会制度がきっちりしている現在日本では、むしろ生きることよりも死ぬことのほうがむずかしい気がする。貧富の差が少ない。それが日本が世界に誇れるものの一つ。生きるための糧を得るのに、きっと世界中の国の中では楽なほうに入るんだと思う。わたしがそうであるように。
 昨日は夕焼けだったのに、お昼過ぎからまた雨が降り出していた。ここのところずっとそう。雨ばかりの日々。
 真田さんはいつも通り出かけて行った。お仕事だってことは、持っていた荷物から判断出来たけど、言葉はなかった。
 壁を隔てた向こうで聞こえる水の音。衣擦れ、ものを動かす音、テレビの声。生活を感じさせるもの。すべてわたしから隔絶されていることを、思い知るよりほかなかった。何も言わずに外に行ったあのひとに、わたしはもう見放されたに違いない。
 ここに来てから、何日ぐらいが経ってからだろう。わたしが一つ彼を賞賛するごとに、あのひとの顔が曇っていくことに気付いたのは。
 脚の低いテーブルに肘から下の腕を全部置いて、手を組む。何も掴めないこの手。磨き上げた表面にうっすらと映るわたしの顔。外には雨。
 昨日の午後六時は雨は降っていなかった。

『なんでこんなとこにいるの』

 かたく強張った妹の顔、ドアの隙間から腕を掴まれて、逃げられなかった。
 どうして、と思ったとき、妹の後ろに知らない女の子が立っているのに気付いた。きっとこのマンションの住人のひとり。ああ、だからか、とぼんやりと背景を察した。
 人の縁て、おそろしい。そんな気持ちで、久しぶりに顔を合わせたたった一人の妹の顔を見ていた。

『お姉ちゃん!!』

 甲高い悲鳴みたいな声。わたし以上に自分の感情を抑えることが苦手な、あの子の声は悲痛なものもあったのかもしれない。
 雨の匂い。夕焼けの色がマンション廊下の端にちらちらと揺れていた。
 チェーンロックを外さないわたしに、あの子は強く腕を引っ張った。後ろの女の子が何か言いたげにしていたけど、何も言わなかった。
 なぜここがわかったのか、なぜわざわざ来たのか、聞きたいとは思わなかった。
 それからのことは、もうどうでもよかった。一方的に言うあの子の話だけを聞いていた。騒ぐ声はあちこちに響いて跳ね返って、真田一馬の、という言葉だけを覚えている。

『ここ、柏の真田一馬の部屋なんでしょ!!』

 あの子は、真田一馬という選手のことを、知っていた。
 いつの間にサッカーに興味なんて持っていたんだろう。それともわたしが知らなかっただけで、真田一馬という名前は一般常識の範疇だったのかもしれない。少なくとも、昔から優れたプレイヤーであることは、若菜さんが言っていた。
 サッカー選手としての真田さんをわたしは知らない。だけどあの子や、後ろの子や、ほかのたくさんの人は知っている。そういう人たちにとって、わたしがここにいることは大きな違和感があるんだと思う。郭さんのように。
 そのうちに誰かが管理人さんに連絡したみたいだけど、管理人さんへの言い訳は全部妹の後ろにいた子が喋っていた。わたしはそこで黙ってうなずいただけ。妹も黙っていた。
 姉妹だということは、誰も尋ねてこなかったし、わたしたちも言わなかった。
 あの子にしてみれば、身内の恥を晒すような真似したくなかったんだと思う。そういう子だから。

 真田さんには、言えなかった。

 昨夜のことを思い出すと、なんだか泣きたくなる。申し訳なさと罪悪感で息が詰まって死ねたらいいのに、実際そんなことも出来ない。
 ずっとテーブルに置いたままの手から汗がじんわりと滲む。ぺたぺたする湿気。鬱陶しい梅雨。
 こんな時期まで、ここにいちゃいけなかった。
 迷惑になるとか、邪魔になるとか、それだけのことじゃない。
 自分勝手なわたしがおそれていたこと。
 知られたくなかったのは軽蔑されたくなかったから。言わなかったのは幻滅されたくなかったから。建前のものさえ守っていればそれで済むと思っていた。
 いつだって、願ったのはたった一つ。わたしを厭わないでくれること。




 がたん、と大きなものが当たる音がして、わたしは目を開けた。
 いつもの窓辺にいたさくらちゃんが一目散に玄関に向かって駆けていく。フローリングに響く犬の爪の音。あの子もずいぶん大きくなった。
 テーブルに半ば突っ伏したままぼんやりとしているうちに、足元に薄茶の犬をまとわりつかせながら真田さんが姿を見せる。一気にこの部屋に彼の存在感が満ちる。
 テーブルのそばに座ったままのわたしを見て、真田さんは一瞬おどろいた顔になった。

「…ただいま」

 おかえりなさい、と言おうとして少し声がかすれた。きっと今のわたしはすごく寝起きの顔をしてるんだと思う。
 真田さんが、荷物を降ろしながらおかしそうに笑った。

「寝てたのか。…前髪」
「え?」

 言われて前髪に手を伸ばすと、ちょうど額の上ぐらいの毛先が変な方向にはねていた。腕の上に顔を乗せていたせいだ。

「…変になってますか」
「少し。…珍しいな。昼寝なんて」
「…………」

 そういえば、そうだった。貸してもらっている和室以外でうたた寝なんてしたことがなかった。
 はねた前髪を手で撫で付けながらベランダのほうを見たら、まだ雨は降っていたけど空は夕暮れに近づいていた。結構長く寝てたみただけど、寝入ってしまったことすらわかっていなかった。
 寝る前にしていた考え事もよくなかったのか、何だか頭の中がぼうっとする。

「疲れてるんなら、別に寝てていいぞ。俺適当に何か食うし」
「いえ…」

 キッチンの流しで手を洗っている真田さんの背中。口調がいつも通りで、昨日のことが何もなかったような気さえする。
 だけど記憶は消えないし、なかったことにするんじゃなくて、そうしなきゃ空気がどんどん悪くなっていくだけのことだから。なかったことにするのは、わたしの得意技なのに。

「あー…と、それから」
「はい」

 手を洗い終わった真田さんが振り返る。眉間に皺を寄せて視線をさまよわせたかと思うと、不意に玄関のほうに戻って行った。
 何だろうと思って、ついて行くべきか悩む前に戻ってきた真田さんは半透明のビニール袋をわたしの前に置いた。半透明だから中身はよく見える。
 テーブルの上でかちんと鳴った、小さな硝子瓶。
 薄い緑の瓶は、首のところがきゅっと細くなって、下に行くにつれてドレスみたいに膨らんでいる。その細い首の上には、芽吹き始めた小さな球根。

「…何ですか? これ」
「もらったんだけど、これの名前わかるか?」
「水栽培のヒヤシンスに見えます」

 袋から取り出しながら感想を述べると、真田さんは「へー」と初めて知ったみたいな声を上げた。近くの座布団を引き寄せて、壁を背もたれに座る。

「時期外れだけどって言ってたな」
「そうですね、普通は春先に咲くものですし」

 いまわたしの手元にあるこれは、まだ芽も出たばかりみたいだった。遅咲き、というには季節を半分以上過ぎている。

「どうしたんですか? これ」
「知り合いが去年の秋買ったらしいんだけど、球根のまま放置してたからって配って回ってたのもらった。…好きだろ、そういうの」

 さりげなく付け加えられた一言に、思わず顔を上げた。
 テレビのリモコンを探しているのか、立ち上がった真田さんの顔が見えない。うざったそうに後ろ髪を手櫛で梳いている。

「なんかうち殺風景でマイナスイオンが足りないとか英士が言うし、ちょうどいいだろ」
「…なんで、こういうの好きって…」
「よく駅前の花屋のほう見て歩いてるだろ」

 今度はわたしが驚く番だった。確かにお花とか植物を見るのは好きで、駅前を歩くときはいつも花屋さんがある側を歩いていた。真田さんが一緒だったときも何回かあると思う。
 だけど、言ったことはなかったのに。

「あのな、俺だって結人たちが言うほど鈍くねぇっての」

 なんか誤解してるだろ、とどこかぶすくれた顔でテレビをつけた真田さんが低位置の壁際に座る。ちょっとだけわかりやすい真田さんの性癖。背もたれのある場所が好きってこと。

「俺もそういうの嫌いじゃねぇし、気に入ったのあったら好きに買って置いていいから」

 何ですか、それ。
 両手の間に収まってしまう、身の丈20センチに満たない薄い緑色の硝子瓶。触れてもずっとひやりとしているのは、中の水のせい。こんなの、こぼさずに持って帰るの面倒だったんじゃないんですか?
 動物も植物も簡単に家に置くものじゃない。きちんと世話をしてあげられないのなら最初から持って帰っちゃいけないもの。
 わかっているくせに、どうしてこの人は。
 どうしてそんなわかりにくい、だけどわたしが欲しいものを、いつもそうやって。
 わたしにそんな資格も権利もない。そう言いたかったけど、きっとそれを言ったらこの人は傷つくから、そうっと透けた硝子の端を指で撫でた。

「…何色の花が咲くんですか?」
「さぁ、そういや言わなかったな。それ、マジで水だけで咲くもん?」
「咲きますよ。…ちゃんと育てれば」

 きっと、わたしはこの花の色を知らないまま。

「ありがとうございます」

 たくさんのものに背を向けて、それでも他に方法を知らない。信じてもらいたいなら信じなければならない。簡単なはずのことがいつも出来ない。
 仲直りのはずのこのまだ咲かない花もわたしには届かない。嬉しいことが辛い。なのに笑ってお礼だけを言うなんて、何様だろう。
 前のものを捨てたくて、変わりたくて家と呼ばれる場所を出てきた浅い春の日。あの頃とわたしは何も変わってはいなかった。
 いたたまれなくて、息苦しい。いまの状態はあの家のときと同じ。
 あの妹と、真田さん。あの家とこの部屋。

 捨てるはずの場所にすら、嫌わないで欲しいなんて、わたしのむしの良さも変わらないままだった。








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 すごい久々になりましたが真田シリーズ本編総合えーと…37話め?(忘れがち)
 ロングレインの4話(前回)を含め、これまでの本編は全部正規ページに移動済みです。日記にも残っていますが、書き足しがあったり修正があったりするので、おさらいには正規ページのを参照してもらえると嬉しいです、とかあはははは(日記のものは色々誤字とかわかりにくい文章になってたりしているので…)。

 これも実は二周年です。二年かかってここまでで、しかも作中ずっと早春〜初夏、です。この寒いのに梅雨の頃のリアリティとかそういうのって…。

 そうそう、このシリーズ始めた頃まだ真田が柏レイソルに入るなんて知らなかったんですね(公式発表前)。なので後付けでむりやり柏設定が紛れ込んでます。
 てっきり真田というかアンダー三人組はロッサのトップに上がるものだと思っていた。それが何、なんで三人揃って別球団入りしてるの。何があったロッサ(今更)。

 特殊職にしても21歳独身のくせに2LK(風呂トイレ別)に住んでる真田の経済観念についてはどうぞ平にご容赦を。
 作中のどこかで書いてますが、柏の練習グラウンド(もしくはクラブハウス)からは電車で数駅程度の土地だと、築5年以内マンションでセキュリティつきでも都心より随分手頃家賃なので、まあそういう感じで。
 家の中が舞台の大半なので、一応モデルマンションの間取りも決まっているのです、実は。千葉の不動産サイトで理想的なものを探しました(ちなみに月7万ちょい/二年前当時)。

 日記復活したら、まず書くのはこれだろうなー…と思っていたら思った以上の難産で二日がかりになりました。
 寒くて指がうまく動きません。




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