小ネタ日記ex

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正しい春の迎え方10(笛/真田一馬)。
2004年08月24日(火)

 本題に入ってもいい? その一言に、俺は廊下の薄暗がりに縫いとめられてしまった。








 結人が持参してきたという手土産は、関西の高級レトルトカレーだった。
 高級だろうがレトルトはレトルトだ。そう言ったら、「バカ言うな。一食四百二十円だぞ? 米ついてないんだぞ? 自分であっためて盛り直さなきゃならないレトルトで四百二十円なんだぞ? 高級だろ!」と憤慨された。
 しっかり3つ持ってきたところから、結人は最初からうちで夕飯を食べていく予定だったに違いない。

「おいしいですね」

 うちの同居人は、結人に気を遣ったのか笑みを浮かべながら食卓に着いていた。

「だろだろ? 俺的にはこのビミョーな辛さが絶品だと思うんだよね」
「…俺にはちょっと辛いぞ」
「だってお前に持ってきたんじゃないし。なー、矢野ちゃん」
「え?」

 夕食の間中、会話の主導権はすべて結人が握っていた。結人はもともと会話上手で、初対面の人間から言葉を引き出す能力は俺の知る人間の誰よりも高い。
 三人でカレーの食卓を囲んで、結人は俺の近況を聞き出し、紅一点が知らないような知識(俺らには常識のJリーグのこととか、英士との昔話とか)をさりげなく説明してやっていた。俺とあいつ、どちらと喋っても残ったほうが会話にあぶれるようなことにはならなかった。全部、結人のおかげだった。
 本当なら、結人とあいつの間にいるのは俺だから、俺がその役目を担うはずだった。

「片付けは俺が手伝うから、お前は風呂でも入ってこいよ」

 最後まで食べていた彼女が食べ終わったのを見計らって、結人はそう言ってきた。
 笑いかけてきた結人の、俺より明るい色の髪が蛍光灯の光を弾く。
 思わず顔をしかめた俺は、結人からすればわかりやすいことこの上なかっただろう。結人は苦笑するように口許だけで笑って、俺の肩を小突いた。

「なーに保護者ぶってんだよー。なんもしないって」
「…別に」
「んじゃ入ってこいよ。きっちり洗っといたから、長風呂でもいいぜ」

 二人で残すのは不安がある。それは結人があいつに、具体的に何かするとかしないとかじゃなくて、もっと漠然としたものだった。
 予感は、二十分後に明らかになる。








「本題に入っていい?」

 結人の声が、風呂上りの湯気を俺から吹き飛ばさせた。洗面所から一歩出たところで立ち竦む。
 たいして長くない廊下の先、ダイニングキッチンから結人の影が伸びている。その近くにいるはずの小さな影は見えない。おそらく、冷蔵庫の前に置いてあるスチール椅子に座っているんだろう。

「本題、ですか…」

 夜の空気に混じる、頼りない声。結人を見上げているだろうか。それとも、うつむいて床を見つめているだろうか。

「英士から話聞いてから、俺ずっと見てみたかったんだ。ここの生活」
「…………………」
「俺たちにしてみれば、マジで意外だったワケよ、赤の他人といきなり同居し始めた一馬なんて。有り得ないと思ったね冗談抜きで」
「…わたしは、会う前の真田さんを知りません」

 透き通るような声は、俺も稀に聞いたことがある、前の生活のことを話すときのものだった。疲れ果てたような、自棄っぱちのような、怖いほど冷め切った声。
 俺の裸足の足の裏が、床との間で汗を生み出していた。

「知らないから、今のことだけでいいんです」

 昔のことなんて、知らなくても知らせなくても構わない。
 俺にはそう聞こえた。

「…真田さんを知る権利も、自分のことを話す権利はわたしにはありません」

 どういう、意味。
 俺の疑問には結人が代わってくれた。

「え、なんで? そんな深刻な事情アリってこと?」
「いえ…たぶん、他の人からすれば、本当にただのわがまま娘の家出です。もともといたところは、社会的に問題があるわけじゃありませんでした」
「じゃなんで家出なんか。…あ、ごめ、俺突っ込みすぎ?」

 わかってるなら言うなよ。
 いけしゃあしゃあと言ってのける結人に、立ち聞きの俺は自分のことを忘れて脱力しかけた。
 けれどそんな結人の悪びれる様子のない愛嬌さゆえか、あいつが少し笑う気配があった。

「いえ、大丈夫です。…聞かれたら、全部言おうと思ってましたし」
「自分からあいつに言ってやんないの?」

 主題が俺に移ったあたりから、居心地の悪さを感じ始めた。こういう話の聞き方はよくない。二人は俺が風呂から上がったことを知らない。

「…出来る限り、真田さんには言いたくないんです」

 名前が出て大きく心臓が跳ねる。
 拒否されたことに、思った以上に胸が痛んだ。
 何でだよ。そう怒鳴って飛び出したかったけど、出来なかった。

「事情を言うことは、少なからず相手を巻き込むことだ、って少し前にほかの人から言われたんです。真田さんにはすごく助けてもらったので、どうしても…わたしの事情に少しでも巻き込ませたくないんです」

 何を思って、その言葉を言うのか。
 何を考えて、この場所にいるのか。
 全部知ることが出来たら、同じ空間で過ごす時間と比例して大きくなっていく物足りなさを埋められるだろうか。
 それ以上二人の会話を聞くことは出来なかった。耐えられなかった。
 俺は足音を忍ばせて玄関に向かった。








 春の宵は花の匂いがする。
 マンションの庭代わりになっている小さな公園には、名前を知らない樹木の花が溢れていた。垣根がわりの低い木。植物に詳しいあいつなら、名前を知っているかもしれない。
 風呂から上がったばかりの頃には熱を帯びていた髪の湿気も、今はすっかり冷えて首筋の体温を奪う。バスタオルを肩に掛けたままだから、あまり寒くない。
 居たたまれなさに部屋を出て、見上げた夜空にはうっすらと雲がかかっている。月はなく、ほんの少しの星だけが見える。
 俺に喫煙癖でもあったなら、こんな時間のこんな場所でも絵になったかもしれないけど、現実として俺は煙草は好きじゃない。アスリートの寿命を少しでも延ばしたいのなら絶対に吸うなと先輩にも言われた。
 気づけば二十一だ。揉まれ続けるプロの世界にも慣れたと強がって言える歳かもしれない。
 でも、こんな風に二十一の春を過ごすことになっていることを、十年前の俺は予想だにしていなかった。


「かーずまー」


 エントランスの自動ドアが開き、軽妙な足取りの男が手を振ってやってくる。

「やたら長い風呂だと思ってのぞいてみたらいないって、何の密室トリックかと思ったぜ」
「…トリックでも何でもないだろ」

 声が低くなったのは、不機嫌のせいなのか体温が奪われつつあるせいなのか、自分でも判別出来なかった。
 結人は素早く片眉を動かした。

「あれ、もしかして、聞いてた?」

 なんで俺の行動だけで、思い当たってしまうのか。結人の勘の鋭さは、時として英士の洞察力を上回ることがある。そしてわざと屈託のなさを装うもんだから、やけに鼻につく。
 黙って視線を逸らした俺を肯定と取ったのか、結人は片手を顔の前で立てた。

「悪い、別にお前らのことに本気で口出しする気じゃなかったんだけどさ」
「……………」
「…ま、でも、お前ですらうっかり拾ってみたくなる気持ちは、ちょっとわかった。あの子危ういっつーか、真面目すぎて怖いタイプっつーの?」
「言われなくてもわかってるよ」

 ためいきと一緒にそう言うと、結人は黙った。この台詞を言うのは何度めだろう。
 この話題を延々と続けるのが嫌で、俺は結人を見ずに斜め上の夜空を仰いだ。

「なぁ…結人」

 戻る反応が否定でも肯定でもいい。浮かんでは数を増やすこの感情を、誰かに聞いてもらいたかった。
 巻き込みたくない。あいつの健気な気持ちは、裏側に残酷な意味を孕んでいた。

「放っておけないって気持ちだけじゃ、頼られる理由にはならないんだな」

 たとえ俺が、同じ場所で暮らすほど近くにいても。
 心の距離は決して縮まらない。片方がかたくなに拒むから。

 寂しさなのか悔しさなのかわからない。
 見上げた空に、かすかに瞬く小さな星。頼りないのに、それでも光ってる。
 たとえ、誰も見ていなくても、この春の夜に。








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 正しい春の迎え方10話め。前の話一覧はこちら
 …なぜまだ残っているのでしょうメモライズ(でも残ってるなら使う)。

 真田くんは読んだり見たりはものすごく好きなのですが、自分で書くとなると眉間に皺が寄るキャラです。好きだけど書くのは難しい。
 同じ不器用でも、三上とは毛色が違うのでむずかしい。三上は思ってもプライドがあって言えない不器用、真田は思ったことに自分で疑問を感じて悩む不器用、…だと、個人的に解釈しております。正解はどこなんだろう…。
 笛的いじらしい恋をしてもらいたい人ナンバーワン、それが真田一馬。
 でもこの話がいじらしい恋物語なのかは全然別問題です。

 今回も、ヒロインの苗字のみデフォルト名を使用させて頂きました。そういうのがお好きでない方、毎度毎度申し訳ないです。脳内変換でお願い致します(土下座)。




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