2005年01月11日(火) |
第三次世界大戦縮小版 |
オーストリアはインズブルクのホテルにて。
地元のオーストリア人は、大量に押し寄せるドイツ人観光客が嫌い。(バーテンダーが教えてくれた。) ドイツ人は地元オーストリア人を田舎者と哂う。(サウナでドイツ人が教えてくれた。) お互い言葉が通じるけど、方言が違うのでバカにしあうのは想像に難くないですな。
が、共通の敵(例えばイタリア人)が現われると団結する。 エレベータのボタンを全部押してから降りる、レクリエーションルームの椅子の上を飛び回りメチャメチャにする、ビュッフェのケーキをつまみ食いするイタリア人の子どもたち。 どこでも大声で、何故か遠くの人とばかり会話する親たち。 ホテルのドアにスキーを立てかけて、出入りする人を尽く困らせるのもイタリア人。 しかも親は子どもをビシバシ叩きながら怒るので、子どもたちの悪戯を親にチクれない。
遠巻きに眉をひそめるオーストリア人とドイツ人。そうして仲良くなっていく。
3日後、イタリア人に大敵現る。その名もロシア人。 声の大きさでは負けない。スキーだって、イタリア人より先にドアに立てかけちゃうぞ。 スキーを横にしたまま持って歩くので、通行人にガシガシ当たる。 謝りませんよ。謝ったら負けよ!! ホテルのロビーだってイタリア人より先に占領しちゃうぞ。 さすがは元ソビエト社会主義共和国連邦、占領するのは得意です。
でも追いやられたイタリア人と、ドイツ・オーストリア組はあんまり仲良さそうではない。
最終日の朝、朝食ビュッフェにてロシア人の大敵現る。 その名も中国人。前日まで1人も居なかったのに、突然朝食ビュッフェに40人くらい、しかも男性ばかりの中国人。 特に異様な行動には出てないんだけど、人数が人数なだけに皆圧倒される。 中国人はリンゴ片手にレストランを去り(ちなみに食料の持ち出し禁止。でも誰も咎めない)、そのまま全員チェックアウト。 嵐のように現われて、嵐のように去っていった。
サウナやレストランで一部始終を観察していた日本人とポーランド人は、常にポー語で実況中継してたんだけど、ロシア人が現われてからは会話内容がバレやしないかとヒヤヒヤでした。
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