忘れていい
22:00から、この番組を観ていた。
「オレを覚えていてほしい」
異色のインターネット闘病記“ガン漂流”の作者奥山貴宏と
読者850日の対話

この人を知ったのは2004年の夏。
初めてここで書いたのが、『私は ここに いる』
そして2005年4月の『訃報』

さるさる日記の頃読み始め、彼がブログで書き出してしばらくして
読まなくなった。
読めなくなったと言った方が正しい。
1ヶ月か2ヶ月に1度の割合で、サイトがまだあることを確認し
ざっと目を通していた。
亡くなったことを知ったのは偶然だったかもしれない。
いつもは簡単に開くブログサイトが、なかなか開かず
コメント欄がチャットのように増えていくのをじっと見ていた。

そして今日偶然に番組が始まって数分後、チャンネルを回し
奥山さんを見つけた。


夕方の地震以降、私はダメになっていた。
パニックを起こし、ガタガタ震えた。
楽になれるなら病院に薬をもらいに行こうと思った。
ネットで不動産物件を探した。

彼に電話をかけ続け、何度も留守電にメッセージを入れた。
支離滅裂な単語を並べた。
そしてようやく彼からの電話を受け取ったあと、
「もうどうでもいいや」が頭の中にこびりついて離れなかった。

揺れた直後、PCを落とすのに手間取り、テレビをつけ
浴槽に水を張りながら、飲み水をやかんやポットに溜めた。
電気は消えず、水道から水が流れ、ガスも止まらない。

Sちゃんから電話をもらった。
いかれたように洗濯し、アイロンをかけ、部屋を掃除し
タバコを買いに出かけた。
道を歩いていると「普通の日常風景」だった。
車が走り、人が歩き、店には煌々と明かりが点き
ここは違うんだと理解した。

テレビで奥山さんの番組を観て、
死ぬことよりも、忘れ去られることの恐怖が勝ると聞いた。
肉体的な死と、精神的な死なら、どちらが怖いだろう。
癌を宣告されたとき、精神的なダメージが大きかった。
生きられるとわかったときは、何に対しても感謝した。

ここに、こうやって書いていられるということは
前回ほどのダメージはなかったのかもしれない。
数時間前、全てを終わりにしようとしていたのに
今はPCを起動して書いている。
だけどね、もう終わりにしたいんだと、
この考えが拭えない。

奥山さんの最後のブログを、あのとき、私は読んだ。
だけどね、どうしても、今の思考を払拭できない。
私は覚えていてほしくない。
生きていた証もほしくない。
存在理由も存在証明もいらない。
疲れた。

2005年07月23日(土)

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