2008年02月20日(水)
おかーたまから今日聞いた話です。 史実と食い違っていても無駄な御指摘は御遠慮願います。 とても面白かったので書いておきます。当家口伝の日本史だそうです。
昔、まだ地球が氷河に覆われていた頃、一部の陸地には当然一部の人類が分散して住んでおり、日本は今の山岳地方のみが島のように点在して、現在の平野部は海の底、氷河の下の時期に、物語は始まります。 人々は寒さを防ぐため、穴を掘り、そこを住居にして暮らしていました。 まだ文字もなく、数の認識もなく人も獣も穴倉に住んでいました。 人々は獣の穴と人の住居の区別の印として同じ目印をつけました。それが鳥居です。 やがて鳥居を中心に人々は生活のすべをお告げを聞くことによって決めて行くようになります。 その時に選んだのは空を自由に飛ぶ鳥だったそうです。 その中でも人々はコウノトリを選びました。 コウノトリのお告げを聞く人を選出し、告げる人はコウノトリと呼ばれるようになりました。 コウノトリのお告げさえあればうまく行くため、まだ人々は争うということを知らなかったそうです。子供が授かるのはコウノトリに聞いてみないとわからないという語源はこれだと言います。
※歴史では亀甲占いがかぶるかも知れませんがとにかくこの歴史は鳥で進みます。
厚い氷を割って漁をするような生活をする、その氷河期の終わりを告げる頃までコウノトリの治世は続きます。
どんどん氷河が溶けて海になっていく過程で、陸地は姿を現していきます。 高い山に社が祭られていたり、土地の有力者が高い山に家を持っているのはこれらの歴史の名残だそうです。 この頃、まだ九州という陸地は認知されていません。 権力は今の本州の中心あたりにあったようです。凍った陸地が解け、草が茂ると、木よりも先に葛が茂り、人々はまずこれを利用して工夫をして行きました。 器用な人々が編んで人に分けるようになると、石のお金を利用して取引をするようになったそうです。 まだ文字はなく、必要に迫られて数の概念が必要になり、稲作などの発展に伴って米や小豆を数を数えるために使っていたようです。 その頃には、九州地方を除いた内陸部には木も生い茂り始め、船が作られたようです。 日本から、木も生えていない中国大陸へ日本人が渡り、知識を与え、繁栄した後の文化を持ち帰り、文字や仏教が伝来したそうです。 小船で大陸へ向かう航海術があったとは思えないのですが、キッカケは日本からだと言い張ります(笑)。
もしかしたら甲の鳥の時点で亀甲占いもやっていたのかもですが、やがてコウノトリ氏は甲の鳥氏へと変わっていきます。 この当たりから日本書紀とクロスオーバーします。甲の鳥氏の娘に金髪碧眼の絶世の美女が生まれます。天照大神です。この美しい娘をめぐっては男達の争いが絶えず、殺し合いをしてでも手に入れようとするため、天照大神は一生独身を宣言します。 しかし宣言虚しく、男達に翻弄され、彼女は数人の子供を密かに産み落とします。 これらの子供達は、全国に勢力を伸ばしていたそれぞれの甲の鳥氏に里子に出され、密かに育てられます。 葦の生い茂る九州地方から、やがて日本統治のために何番目かの息子が迎えられます。 それが神武天皇だそうです。
木が豊富に生え揃う中でも真っ先に果実を豊に実らせた現在の奈良地方に都が作られます。おそらくそれは平城京です。 甲の鳥氏は鴨氏と名を改め、都の四隅を守り、帝に取り次ぐのもその胸先三寸だったようです。 しかし時代の流れの中で、鴨の名前だけでは力が弱い、物言う力を加えるという意味で加茂氏を名乗り始めます。 カモの名前が分かれた由来と言えます。
つばさの名前には鳥の名が入るのですが、これもこの歴史の名残で。 つばさや、おかーたまが巫女体質であるのも、きっとこの名残です。 昔は神社を守っていた家柄だそうです。
これは、つばさの祖先が広島の出身ではなかったかと言う軽い問いかけから引き出された壮大なお話でした。 確かに我が家は土地の豪族の歴史を持っていますし、山地のてっぺんに住んでいるのです。
最後に、「中国から全部文化が入ったというが、最初は日本。昔、日本製品と言えばどこの国でもよく売れたが、日本の技術を中国に教えて今じゃあ、みんな中国製品を買って日本が困っている。おんなじだー」と歴史が繰り返す様を語っておりました。
久々のリアルタイム更新は、こんな話(笑)。
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