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2005年03月20日(日)
昼近くまで寝てました。
今日は先月彼女が大怪我を(勝手に)した交流座談会のこちら版です。 何かやらされる予定だと言うので、早めに行ったつもりだったのに10分遅刻( ̄∇ ̄)。 着いた途端に「じゃあお願いします」と言われて「何やればいいんですか?」と返事する有様。 例のコタツのコードの人のPRだったんだけども(この紹介の仕方は問題あるよな)。
都議候補の紙芝居を読む事になっていました。 1度聞いた内容だったのに、下読みしてなかったから途中で、とあるエピソードにまたぐっと来てしまい、涙もろいおばちゃんになってしまっていました。
所属宗教団体は各地で根城である会館でいろんな会合を行なう訳ですが、老若男女が多数集うため、様々な人がいろんな意味でセキュリティを担っています。 滝沢が倒れた時にバイタルを測ってくれた看護士さんなどのように、相応に訓練された人が陰で支えているのです。 その中に会館の守衛さんのような役割をしている男子部が居ます。 のん気にしていると怪我人が出る可能性がある人の出入りなので、つばさでは勤まらない訓練を1年受けて、「入卒式」を行い正式なバッジがもらえるようです。
神戸の震災の日、品川のその人達はそのバッジがもらえる日だったそうです。 点呼で1名来ない事がわかり、方々に確認したけれど所在が知れず、どうしたものかと思っていたら、外にうずくまって泣いている人が居ると言う報告が入ったそうです。 遅刻と思われた青年が、公衆電話の前で泣いていて、どうしたと尋ねると「父と母が生き埋めで……」と言ったそうです。 バッジをもらう入卒式を取りやめ、無事を祈る唱題の後都議候補は、その青年と神戸へ赴いたそうです。
「しかるべきサイト」の経験談で拒食症から生還した体験談の青年はたまたま都議候補と同じ職場だったので、別枠で聞いたのですが、職場に3日無断欠勤して心配していたら、連絡するのを忘れて神戸に駆けつけていたと言う事で、「面白い人なんだ」と言っていましたが、実はこの件だったようです。
到着したら泣いていた青年の家は潰れていて、もちろんそこに到着するまでにはたくさんの助けを呼ぶ声を聞き、死体も見たそうです。 たまたまそこを自衛隊が通りかかったので、この下に人が居るから掘ってくれと頼んだのだそうです。 しかし答えは「上の指示が無いのでできません」だったそうです。
もちろん、そんな家は他にも五万とあったでしょう。
青年は両親を失いました。やはりそんな人も五万と居たに違いないのですが。 これとそっくりなエピソードが、自衛官ではなく消防士に置き換わって、「救命病棟24時」で演じられていたのはつい先週だったでしょうか。 それも思い出すやら、様子をイメージするやらで、声が詰まりそうになって、すっかり素人になってしまいました。 危ない危ない客人の前だと気を取り直して何とかその場はしのいだけど、自分の場所に戻ったら止まらなくなってしまいました。
余談ですが。 惨状を伝える取材のヘリコプターの音にかき消されて、助けを呼ぶ声が届かず、何人も死んだ人が居るのですが、これはあまり報道には乗りませんでした。 カメラを回さないなら今の気持ちを話してやると取材に応じた人のほとんどはこれを訴えたそうです。 当時、つばさはこの記事を大人向けの雑誌や新聞ではなく、子供向けの学習雑誌で初めて知りました。 カメラを回さなければ。助けてもらっている被災地の立場で、文句は言えない。でも文句はいっぱいある。 そんな被災地の人の大人の行動だったでしょう。
まさにそんなエピソードを話したり思っていた頃、福岡では震度6弱の地震が起きて、震度3以上の余震を繰り返していました。 新潟の時は揺れたけど、遠過ぎて全く揺れを感じなかったつばさはその時間はぐっすり寝ていました。 いや、彼女に起きろ起きろと急かされていた頃かもしれません。 今頃新人さんが福岡空港に降り立つ予定だと思うんだけど、大丈夫だったかなあ、そんな事を思いながら終了後のお菓子を食べて談笑などをしていました。
かなり大きな地震なのに、新潟と違ってニュースが遅いなあ。 そう思いながら過ごす日曜です。
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