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2005年01月21日(金)
つばさは、高校受験を機に、いやな性格になってしまいましたが、基本的にのん気なため、重度の性格破綻者にはなりませんでした。
性格破綻にあげられる人と、インターネットで数人知り合いましたが、ほとんどの人は歳月とともに、それなりに克服しているようで、人は成長するものだと改めて思います。 時に、最近のこの日記を賑わせた、つばさには親友にも等しかった滝沢に関して言えば、正気と破綻の間を行ったり来たりしているようで、ふっと我に返ったようなメールが来たり、破綻丸出しのメールが来たり、今はつばさにはコンタクトして来ないので、とにかくその不可解さで彼女を悩ませているようです。 前触れも無く「何日にお金を返す」と自ら言って来たメールに、「嘘をついて、また約束を破らないでくださいね」と返したら、次の日に「もうお金がありません」と返事が来たそうです。
つまり「返します」が嘘だった訳ですね。
写真入のグリーティングeカードを送って来た時にも、苦笑いしてしまいました。 送って来る事自体が「?」ですから。それはつばさにも送られてきました。 その写真を見て、つばさは、知り合った頃の滝沢を思い出しました。 「ああ。そうだ。この子は昔からこんな顔だった。違っていたのは、この3年ほどの間だ」 やはり、ご本尊を返してもらいに行った時の印象はそのままなのです。 3年以上前に、戻ってしまっています。 上目遣いにやぶにらみしてホストのようなコーディネートで、赤い髪がツンツンしてますが、滝沢の決め顔と言うのは、本当に人相が悪いのです。 つばさの手元に残っている写真にも、何枚も悪人がいます(笑)。 その目つきの悪さがコミュニケーションを妨げているから、と、あさきもつばさも目つきから変えるようにと言っていました。
この写真は何だろう。ナベバーにでも面接に行ったのか?これ、カッコいいと思ってるんだろうなぁ……。
さて。 破綻的な知り合いの中に、ある女性がいます。 自分の性別を忌み嫌っている女性です。 本名を知っています。一般的で可愛い女性の名前を持っています。当然親の付けた名前です。 その女性は、幼い頃のつばさ同様、その可愛い名前で呼ばれると嫌悪感が沸くようです。 つばさが不思議なのは、大人になってもそれを真顔で言う事です。 つばさも、自分の可愛らしい、いかにも女の子の名前がいやで、高校生なんて言う、もう分別が固まってもいい頃にも、下の名前で呼ばれるのが嫌でした。 苗字で呼ばない部活の同級生を叩いた事さえあります。 女の子らしくないつばさに女の子であると言う面映さを与える事に、つばさは免疫がありませんでした。
小学校1年生の時、乱暴者で仕方が無かったつばさを担任が職員室に呼び、「将来、何になりたいの?」と問うたので、「男になりたい!」と叫びました。 担任は困って「男になるの?……」と弱々しく復唱しました。 「うん。20歳になって、大人になったら男になる」 つばさの男になる事への願望は、そんなに強い物ではありませんでした。 暴れれば「女の子の癖に」と大人に言われ、男の子はどんな下品な事をしても言っても、性別で抑えられない事を羨んでいただけです。 担任は困り顔でこう言いました。 「あのね、性別は生まれた時から決まってるの。大人になっても性別は選べないのよ」 成人する事を、万能の鍵だと思っていた6歳のつばさは、驚嘆しましたが、「先生、そんな事ないですよ。性転換すればいいんです」と笑顔で近づいて来た教頭先生には「ヾ(- -;)オイオイ」と心でツッコんでいました。 「教頭先生、一年生に向かってそんな事は……」 困っている担任の側で、つばさは性転換がどういう事であるか解かっている6歳でした。 つばさが1年生というと昭和45年です。それでもそれを知っていました。 何せ、カルーセル麻紀が大人気でしたから。
成人しても性別は選択できない。性転換を知っていても、その回答は驚愕でした。 この後、この抑圧はかなり長い間、つばさの行動や言動を左右しますが、つばさは小学校6年生の頃には、子育てのあり方をプランニングしたり、哲学する12歳でした。 つばさは、「自分の性別を否定して生きるのは無意味である」という結論にたどり着いたのです。 男には男の役目、女には女の役目、カマキリの生態を学習して以後、役割分担は天の定めだと行き当たりました。 当然この頃のつばさは、進学、結婚、出産は当然の事で、男っぽい性格をしていても女は女なのだと落ち着いていました。 暴力が鳴りを潜めたのも、この頃です。 この頃はまだ、女の子に恋する自分がやがて現れるなどとは予想もしていませんでした。
自信満々、順風満帆ではなくても順風満帆であると疑わなかったつばさの、最初の歪みの発生は、自分でも高校に落ちる事があるのでは?と弱気になった事から始まりました。 その頃には女の子に積極的に恋心を覚える人になっていましたが、その事を不安に思った事はありませんでした。そう言う風に生まれて来たんだな、と解釈していたからです。天の定めです。仕方がありません。
彼氏も彼女もいる高校時代を経て、男性に淡く恋心を抱き、女性を追う成人期を経て、婚姻・婚姻解消と来て、今の彼女にたどり着いている。 辛かったのは、気に染まぬ男(男が気に染まぬ、では無い)との婚姻期だけで、もうそれも過去の事。 今後、彼女とずっと生きて行くかどうかなんて、さっぱり予想もできないけれども、自分の「女性」を否定する気はとにかく無い。
今の彼女くらいの年齢で、自分の意思で性転換し、女性として生きている子にも会いました。 聡明で、しっかりしているけれども、男性である事を捨てるまでの屈託が、やはり病んでいる部分を醸し出していました。 性転換って、結局、自分の性別を受け入れない思いっきり我侭な人のする行為ではないのかなあ。
でも、だからこそ。 自分が女である事の不遇を性同一性障害なんだと言い張る事によって、本当の自分の我侭と決着をつけた人達と同一視させようとする敗北者達を嫌うのです。 きちんと決着をつけた人達には、後は一社会人としての違和感さえなければ、全然否定する部分は無いつばさです。
自分が女らしくない事や、男がまともに受け入れてくれない事をコンプレックスとして、親が名付けた可愛い名前に悪寒を走らせるなんて、自分の原点を否定しているだけに過ぎない。 原点を授けた親を否定して、終わりの無い病みの世界にいる事に早く気づいて欲しい。 言いたい事は、女らしく生きていくのに失敗した事と、女として生まれて来たのは間違いだったんだと言う事をごっちゃにするなって事だけ。
名前で呼ばれると、今でも面映い。つばさも、つばさと呼ばれる方が好き。 自分の付けた名前だからね。 でも、本名は生まれた時に命名された親の愛がこもった名前。 親の愛を受け入れない人には、ずーっと闇が続くんだと思うんだよ。心の病みが。
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