台風一過を台風一家と勘違いしてたからこです、こんにちわ。 非常識にも程がある・・・orz たいふーんが一団としてくる意味かと思ってたヨ。 あぶねっメールで使いそうになってた。アイタタタ
今日は地元に住んでる友達と映画の試写会に行こうとしてて 一応地元駅で約束をしたのだけど そのままコーヒー屋へ。あまりのたいふーんの凄さに。 って若かったら言っただろうな(笑) ずーっと喋りとおして、晩御飯も食べて喋り倒して楽しくて 家に帰ってからメイクも落とさずお母さんと喋りとおして・・・アハハ。 勉強は英語しかしてないという・・・ そろそろ真面目に。本当に。
お題の「母親と私」 家族療法のお陰か、私はこの数ヶ月で随分変化したようです。 自分の意見を自分の意見として言えるようになった。 それが正解や不正解に怯えなくて。 前はいつもビクビクしてあまり言えなかったので。 意見は変えられるもの。 人の話を聞いたり、情報を間違えてたり、で考え方が変わって。 意見はあくまで意見。
母親と喋り通して、私はまだ自分が母親に所属してると思ってるんだなと思った。 だから母親に言わなくて良い私のプライベートを話さないといけないような気がして、 つまり義務な気がして話してしまう。 これがなくなるのは後、あと半年以上はかかるだろうな。 ずーっと聞いてもないで母に心の中で質問を投げつけて 勝手に答えや反応を憶測してっていう生活をしてた。 口は何の為にあるのか。 近頃ちらりと考える事です。
母親が望んであろう自分をいつもやってきた。 母親が安心できて喜ぶ姿を見たかった。 こっちをもっと振り向いて欲しかった。仕事や家事や趣味でなく。 愛情はたっぷり注がれていて、でもそれを分からなかったのは やはり『悪いくじ』を引いたのだと思います。 私のせいでなく、両親のせいでなく、祖父母のせいでなく その時の環境や私のDNAが。『悪いくじ』だったと思うしかないのです。
でもね、でもこうやって悩んで暮らしてきて今こう思えるようになったのは やはり 私の母は偉大なのです。 母の子供で良かった。愛し方にも色々あるけれど愛されている私は幸せです。
前日ニッキ(苦笑)
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