雲ひとつない秋晴れ。しかし気温は30℃に達し真夏の暑さであった。
明日から10月だと云うのに戸惑うばかりである。
台風が消滅すれば一気に秋が深まるのだそうだ。
その台風がまた千葉に大雨を降らす可能性があり
印旛沼の決壊で未だ冠水している地域が危ぶまれる。
これ以上水が増えれば大変な大惨事になりそうだ。
被災されている方達はどんなにか不安なことだろうか。
どうすることも出来ずひたすら祈るしかない。

朝の道ではあちらこちらに秋桜が咲き始め心が浮き立つ。
まるで枯れてしまった彼岸花を慰めているようだ。
若い芒の穂もきらきらと輝いている。
その艶やかな穂にも確かな命が宿っているのだ。
ふとそんな秋を見届けなければならないと思う。
職場に着くと今朝も義父の姿が見えなかった。
ポストの朝刊は取ってあったので起きてはいるようだが
二階の居室は静まり返り物音ひとつ聞こえない。
昨夜は友人の誕生日会だったのでまた飲み過ぎたのだろうか。
82歳とは思えないパワフルさに呆れるばかりである。
月末の経理は火の車であったが午前中に支払いのお客さんが来てくれた。
昨日納車したばかりで何と有難いことだろう。
預金口座にも振込入金があり大助かりである。
しかし社会保険料が引き落とされていたので残高は少ない。
残りの全額を引き出し現金と合わせてもまだ足りなかった。
仕方なくまた銀行の奥の手を使い部品屋さんに支払うことが出来る。
そうしてまたゼロになった。面白くて笑いが止まらない。
お昼にやっと母の位牌に手を合わす。
しきびはお盆からそのままですっかり枯れ落ちていた。
花は添えられなかったがしきびの鮮やかな緑がある。
母はきっと許してくれるだろうと信じていた。
仏壇は亡き義祖母の家に置いてあるのだが
事務所から僅か30メートルの距離が歩けなかった。
おまけに玄関の上がり框が高く這って上がるしかない。
何とも無様であったがそれが精一杯だった。
「お母ちゃん命日おめでとう」
仏さんになって三年目の誕生日である。
天の国でよちよち歩いていることだろう。
決してふざけていたのではない。母の笑い声が聞こえた。
お茶目な母であった。命日らしく笑い合うのも良い。
2時になりやっと義父の姿が見えたが
やはり二日酔いだったのか元気がなかった。
月末の支払いが済んだことを報告したら「そうか」と他人事である。
経理は全て私任せでちっとも社長らしくない。
それだけ私を頼りにしてくれているのだろうと思うと嬉しかった。
経理畑に明日からまたせっせと種を蒔かねばならない。
ゼロから少しずつ芽が出て来るのが楽しみであった。
※以下今朝の詩
命日
母は待ってはくれなかった 呼び戻すことも出来ずに あっけなく逝ってしまう
秋桜が咲き始めた頃 空は広く高くなり 鰯雲がたなびいている
その鱗の一片に続く 天の道があったのだろう
最後に食べた一粒の葡萄 甘くてとても美味しかった
母であることよりも おんなであることを選んだ それをどうして否定出来よう
愛する人に看取られて どれほど幸せだったことか
待つことはしない 母は決心し貫くことを選んだ
どうしてどうしてどうして
安らかで穏やかな死顔であった
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