猛暑なのか酷暑なのか今日も厳しい暑さとなった。
黒潮町佐賀では40℃を超え日本一の暑さとなる。
四万十市も39℃を超え高知県が一番暑かったようだ。
日照りが続いているせいか国道沿いの向日葵が枯れ始めており
花びらは散ってしまい種だけとなり項垂れてしまった。
夏を代表する花だけに今年の夏の暑さは過酷なのだろう。
4時半前に帰宅し二階の自室に上がるなり地震があった。
横揺れが長く続き一瞬めまいかと思う。
娘が直ぐに知らせてくれて熊本で震度7の地震があったそうだ。
被害状況は直ぐには分からなかったが5時前の報道では
火災も発生しており大規模な停電も起こっているとのこと。
何とも悲惨で気の毒でならなかった。
10年前の地震で大きな被害を受けた熊本城は
復旧作業中の石垣が無惨に崩れてしまったらしい。
苦労も希望も水の泡になってしまったのである。
「お見舞い」の一言では済まされない大変なことになった。
その後も余震が続いておりどんなにか不安な事だろう。
停電となれば熱中症の心配もありとても他人事ではない。
何としても命を守らなければと祈るばかりである。

今朝はまた義父の詩を書いたが以前にも書いていたのでその三とする。
自分では精魂込めて書いたつもりであるがSNSでは不評であった。
「まあそんなもんだろう」と気にせずにいようと思うが
何だか義父がいっそう憐れに思えて来る。
義父の事を書きたいと思った私の気持ちも報われることはない。
しかしそれを惨めに思っては書いた甲斐がないのだと思う。
私は誰に何と云われようと書きたい事を書き続けたい。
「農夫シリーズ」としてまたきっと書こうと決めている。
夕暮れ時となりそろそろ義父が帰って来る頃であった。
おそらくぼろ雑巾のように疲れ切っていることだろう。
独りぼっちの夕食も寂しく後は眠るだけである。
もし母が生きていても何も変わらなかったと思う。
母は義父の農業に大反対だったから
いつも嫌味を云って義父を責め続けていた。
鬼のような人だなと思ったが義父も同じ気持ちだったろう。
母は義父を支えることが出来なかったのだ。
今は違う。私は義父を支えたくてならない。
血の繋がらない娘であっても「おとうさん」と義父を呼ぶ。
来月早々には稲刈りである。義父が少しでも報われる事を願って止まない。
※以下今朝の詩
農夫その三
「死んだらその時よ」 危険な猛暑の中を 命がけの作業であった
畔の草を刈らないと 稲刈りが出来ないのだそうだ 腰痛を抱え歩くのがやっとである 「痛いけんどやらなあいかん」
妻に先立たれた農夫は たった独りで暮らしていた 疲れ切って帰って来た日も 夕飯の支度をし胡瓜を齧る
死んだように眠る夜が続き 夜が明けると命を確かめる どうやら生きているようだ
そうしてまた田に赴く 何としても遣り遂げようと まさに死に物狂いであった
容赦なく照り付ける陽射し 汗にまみれながら力を尽くす
嘆く日もなくてはならない 何のために働いているのか 何のために生きているのか
「もう死んだ方がましじゃ」 肩を落とし呟く日もあった
稲は実り頭を垂れている 赤字覚悟の収穫が近い
失望よりも希望をと願う 何としても報われなければならない
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