「春分の日」太陽が真東から昇り真西に沈む。
昼と夜の時間が同じで季節の節目でもあった。
「暑さ寒さも彼岸まで」と云い本格的な春が始まる。
風の強い一日であったが気温は20℃と暖かくなった。
何処かへ出掛ける事もなくほぼ一日中寝て過ごす。
朝のうちに2時間、午後は4時間も寝てしまった。
春眠を貪ると云えば聞こえは良いが
ただの怠け者だと云った方が相応しいだろう。
庭先の雪柳がすっかり散ってしまい若い緑の葉が萌え始めた。
花が散ればお終いだと思っていたが艶やかな緑も良いものだ。
そうして夏を越すのだろう。その逞しさに心が捉われる。
何としても来年また花を咲かせてやりたいものだ。

朝寝から目覚め気怠さを引き摺ったまま買い物に行く。
お昼はお好み焼きで夕飯は「鰹のひっつけ寿司」の予定だった。
新鮮でかつ安価な鰹を求めて鮮魚売り場へ行くと
土佐清水産の鰹が並んでおり「やったあ」と思う。
小ぶりであったが一節6百円と安く二節買い求めた。
他にもあれこれと買い求めセルフレジへ向かったら
「よしむらさん」が居てにっこりと手を挙げてくれる。
そうして直ぐに私の傍らに来てくれたのだが
うっかりしていてお好み焼きの粉を買い忘れていた。
「急がんでもええけん取って来たや」と云ってくれて
足を引き摺りながらまた売り場へと戻る。
しかしカートをレジに置いていたため思うように歩けず
途中でよろけてしまいレジまで辿り着けなくなった。
するとよしむさらんが駆け寄って来てくれて
私の手を握ると一歩一歩とレジまで連れて行ってくれたのだった。
なんと優しく親切な事だろう。胸が熱くなり涙が出そうになる。
レジでやっと精算を済ますとよしむらさんがカートに荷物を積んでくれた。
「いっつもすまんねえ」とお礼を云うと「なんちゃあじゃない」と微笑む。
おまけに「転ばんように気をつけて帰ったよ」と送り出してくれたのだった。
親切に慣れてはいけないと思うがついつい頼りにしてしまう。
甘える事が当然のように思って傲慢になっているのかもしれない。
けれどもそこに「笑顔」があることでどんなにか救われているだろうか。
大勢のお客さんがいて車椅子で買物をしている人も居る。
よしむらさんはいつもお客さんに気を掛けながら働いているのだった。
もちろん店員さんも大勢いるがそんな店員さんは彼女だけである。
ささやかなふれあいであってもその親切が身に沁みるのだった。
私は何も出来ないけれど少しでも誰かの役に立てるだろうか。
困っている人がいたら優しく声を掛けてやりたいものだ。
ほぼ寝ていた割に長い一日だった。
めいちゃんが高知市へプチ旅に行ったせいか我が家は静まり返っている。
窓の外はもう真っ暗闇でまだ少し風が吹いているようだ。
窓ガラスが微かに鳴っているのが唯一の音である。
目覚めれば春なのに違いない。
何だか新しい扉を開けるようでわくわくとしている。
※以下今朝の詩
春彼岸
あちら側とこちら側が 真っ二つに裂けている
西風と南風がぶつかり せめぎ合っているようだ
春でなければいけない理由を 認めようとしない冬であった
此岸には桜の花が咲き始め こころが浮き立つ季節である 厳しい寒さを乗り越えてこそ 微笑むことが出来る花がある
彼岸には亡き人達の魂が棲み 此岸に残した愛しい者を守る 寂しくはないか辛くはないか それはきっと永遠であろう
桜の花を手向けるには遠すぎるが 春を知らせることは出来るだろう
あちら側とこちら側で 想いは通じようとしている
|