曇りのち晴れ。気温は18℃と三月並みであったが
陽射しのない時間帯は肌寒くてならなかった。
明日はまだ「温」の日が続くが
明後日には雪が降るかもしれないとのこと。
如何にも季節の変わり目らしく冬と春がぶつかり合っているようだ。
今朝は珍しく義父が居て修理完了の車を納車に行ってくれる。
いったいいつの間に直したのだろうと思う。
訊けば昨夜遅くなるまで作業をしていたらしい。
昼間の仕事で疲れていても「やる時はやる」義父らしさであった。
今日は解体の現場がお休みなのだそうだ。
明日には全ての作業が終わるそうでほっとする。
納車から帰ると長靴を履き田んぼの草刈りに出掛けた。
しばらく休んでいたので気になってならない様子である。
お昼には帰らず2時になりやっと帰って来たが
作業服に枯れ草の種子が沢山くっ付いていて難儀な有り様である。
とにかく服を脱がせて私が引き抜くことにした。
ちくちくとどんなにか痛かったことだろう。
同僚も手伝ってくれて何とか着れるようになった。
義父は遅い昼食を食べていたが
声を掛けずに定時で帰路に就く。
今日もカーブス病の発作で行きたくてならない。
そうして心地よく身体を動かし薄っすらと汗もかいた。
不思議なのは気分がとても明るくなること。
買い物も楽しくて夕飯の献立に悩むこともない。
顔なじみの店員さんが居れば積極的に声を掛ける。
以前の私とは明らかに雲泥の差であった。
4時に帰宅。冷たいコーヒーが美味しい。
しばらく自室でSNSを見ていたが例の人の新しいポストはなかった。
けれども不吉な予感はしない。きっと生きていると信じている。
直ぐに落ち着くとは考えられず「時」が必要に思った。
そうしてきっとまた「俳句」を詠んでくれることだろう。
「ふみちゃん」が保育園から帰って来る。
フォロワーさんの一人娘であるふみちゃんの大ファンだった。
幼い女の子の写真を投稿するのは危険にも思えるが
見ている私達にとっては「大きな癒し」であった。
何かあってでは遅いのだがその瀬戸際を漂っている。
父親であるフォロワーさんは何としても守り抜ことだろう。
ファンである私達もふみちゃんを守ってやらねばならない。
5時前には笹原メイさんも日記を更新されていて読みごたえがある。
日記の中に従姉妹の「めいな」が登場していて親近感が湧いた。
偶然だが我が家のめいちゃんと同じ名前なのだ。
「しんちゃん」も出て来る。「ちーちゃん」も出て来る。
それも私の息子と同じ名前であり亡くなった従兄弟の名であった。
「親近感」はとても大切なことに思う。
そうして毎日欠かさず書いてくれることには感謝しかなかった。
夕飯はあやちゃんの大好きな「海老フライ」だったが
珍しく台所に下りて来て娘を手伝っていた。
海老にパン粉をまぶしている。さすがもうすぐ14歳の少女である。
「お料理クラブ」に入ろうかねと私が云えば
「別に興味ないし」と照れ臭そうに二階に逃げて行った。
ささやかなひとコマであったがどれほど嬉しかったことだろう。
特に娘は涙ぐんでいる様に見えた。
決して口に出すことはなかったが前途を案じない親がいるだろうか。
小学5年生から一度も学校に行っていないのだ。
背は伸び髪の毛も伸びて胸はふっくらと膨らんでいる。
どれほどの葛藤であっても見守り続けようと改めて思った。
※以下今朝の詩
猿
きのうはじゃが芋だった きょうはなんになろうか
山から猿がおりてくる 里にはごちそうがあり いくらでも食べられる
軒下に吊るされた干し柿 その甘さをもう知っている
畑には大根や白菜があり そろそろ菜の花が咲く頃 これまでどれ程荒らしたことか 猿だって悔やむこともあるのだ
追い払われてもまた戻って来る 里人は目くじらを立てて怒るが どこ吹く風かといつもおもう
植えられたじゃが芋を掘ってみた そのちいさな芽にこころが疼く
ただ生きるためである 生まれたばかりの子猿もいた
泣いたり笑ったりの日々である 里にはやがて春が溢れて来るだろう
|