| 2026年01月03日(土) |
待てば海路の日和あり |
明けて三日。早朝には時雨れていたが次第に青空が見え始める。
今日は雪の心配がなさそうだった。
しかしやはり風が冷たく真冬らしい一日となる。
夫と箱根駅伝を観ていたがいつの間にか眠っていたようだ。
「青山学院は?」と夫に訊いたことは憶えているが
ゴールの瞬間も見逃してしまい何とも情けない。
好きな人は食い入るように観て応援をするらしいが
どうやら私はあまり好きではないらしい。
午後二時頃から買い物に行ったが駐車場が満車状態だった。
「あったかパーキング」も許可証を提示していない車が多い。
これは今に始まった事ではないがモラルの問題なのだろう。
駐車場をぐるぐると走り回っていたらやっと空きを見つけた。
入口まで遠く杖を付きながらひたすら歩く。
「お正月三ヶ日」と云うが今夜からもうご馳走は作らない。
お財布も寂しくなっており年末に貰ったお年玉も残り少なくなった。
それでも煙草を買わねばならず自業自得を思い知らされる。
顔なじみの店員さんに「例の物を」と告げるとカートンが出て来るのだ。
鮮魚売り場で店員さんが有頭海老に半額シールを貼っていた。
傍らで待つのも恥ずかしく少しうろついてから戻って来たら
全ての海老が半額になっており嬉しくてならない。
海老はあやちゃんの大好物であった。今夜は海老天にしようと思う。
帰宅してまた炬燵に潜り込んでいたが
夫の見ているバラエティー番組の何とつまらないことだろう。
文句を云えば「二階に行けや」と反対に叱られてしまう。
自室にはなるべくなら籠りたくはなかった。
とにかく煙草の量がハンパない。ひっきりなしに吸ってしまう。
嫌で嫌でたまらないのにどうして火を点けてしまうのだろうか。
義父の友人から電話がありまた携帯が繋がらないとのこと。
訊けば午後からお葬式があると云っていたのだそうだ。
また古いお客さんが亡くなったようである。
山里はこのところずっとお葬式ラッシュが続いていた。
今夜は友人達と毎年恒例の新年会があり早目に始めているらしい。
義父が忘れているはずはなくおそらく携帯の電源を切ったままなのだろう。
連絡の取りようがなかったが今頃は楽しく飲んでいるはずである。
一年前の日記を読み返していれば義父の首の骨折を記してあった。
ちょうど今日で一年である。何と悲惨な出来事だったことだろう。
経過は思わしくなくその後二回も入院している。
それでも義父は米作りを諦めなかった。
気力よりも執念に思える。義父だからこそ出来たことだと思う。
しかしもう82歳となり「限界」がないとは云えなくなった。
新年会ともなれば深酒をしまた何があるやらと心配でならない。
そうかと云って楽しんでいる最中に茶々を入れる訳にも行かなかった。
明後日には仕事始めである。どうか元気な義父に会えることを願っている。
ずっと荒波を乗り越えてきたが今年は穏やかな波であって欲しい。
難破船の乗組員は三人だが母もきっと助けてくれるだろう。
水平線に朝陽がのぼる。そうして始まる一日があるのだ。
※以下今朝の詩
始まり
始まりはいつもそう さあ行こうとおもう
急いではならない ゆっくりと歩み出す
野は冬枯れて一面の雀色 老いた芒の穂が風に揺れ まるで全てが終ったかのよう
大河はゆったりと流れる 汽水域では潮が香り 海に思いを馳せている
もう始まっているのだろう 一歩たりとも退けはしない
野には若草が萌える ちいさな花だって咲く そよそよと風が吹けば 終わったことなど忘れてしまう
大河は海に注ぎ蒼く染まる そうして波となり砂浜に着く
生きて生きてここまで来た 始まりは希望でなくてはならない
|