曇り日であったが気温は20℃近くなり春らしい一日。
梅の花は満開となっており仄かに風を匂わせていた。
桜の開花予想日は23日とのこと。後10日である。
帰り道に平田町の桜並木を仰げば小さな蕾が見えていた。
希望でなくて何だろうと思う。日に日に膨らむことだろう。
今朝は夫の熱が下がっておりほっと安堵する。
少しであったが朝食も食べることが出来た。
しかし下痢が始まったようでやはり食あたりだったようだ。
悪い事ばかり考えていたので救われたような気分になる。
正露丸で下痢は治まるだろうといつも通りに山里の職場に向かった。
義父も胃の調子が良くなっており至って元気である。
午前中に車検を2台済ませてくれて大助かりだった。
工場にはまた大型車が入庫しており車検整備待ちの車が3台もある。
同僚は一生懸命にやってくれているが今週中にはとても無理だろう。
お客さんにはそれぞれ代車を貸しているがそれも限界かもしれない。
苦情がないことを祈るばかりで気は急き焦る気持ちが高まる。
もう一人整備士が居れば助かるがお給料を支払う余裕がない。
義父は検査員なので車検整備を行ってはいけない規則になっている。
私が勤め始めた37年前には5人も整備士が居たのが嘘のようだ。
世の中の景気も良かったのだろう。仕事もいくらでもあった時代である。
整形外科のリハビリと診察がある日で2時半過ぎに退社した。
骨密度の検査がありついこの前もしたのにと技師に伝えたら
何と前回は昨年の9月だったそうで驚く。
月日の経つのが何と早いことだろうか。
「骨粗しょう症」は殆ど改善されていなかった。
カルシウムが足らないのかも知れないが喫煙が一番の原因かもしれない。
それは医師には言えなかった。言えばきっと叱られたことだろう。
いつものように骨を強くする薬を処方してもらい病院を後にした。
もう5時前になっており買い物は諦め「ほか弁」に走る。
6人分のおかずを買い求め大急ぎで家路に就いた。
夫の下痢は少し治まっていたがビールはまだ早いようだ。
ほか弁の焼き肉を美味しそうに食べてくれたのでもう大丈夫だろう。
めいちゃんが学校で手紙を書いたらしく照れ臭そうに手渡してくれた。
「おじいちゃん」「おばあちゃん」ととても丁寧な字である。
私の手紙には朝晩の挨拶の事が書いてあった。
おばあちゃんのように進んで言えるようになりたいのだそうだ。
それはとても大切な事と締めくくってあった。
もうすぐ5年生である。その手紙に随分と成長した事を感じる。
毎晩の「おやすみい」毎朝の「おはようさん」
めいちゃんは学校へ行く時大きな声で「行って来まあす」と言う。
「は〜い行ってらっしゃい」私と夫も大きな声で応える。
日常のほんのささやかな事だがそれが幸せでなくて何だろう。
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