ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月17日(金) 一粒の種

冬晴れとなり陽射しはたっぷりとあったが風は冷たかった。

長期予報では暖冬傾向となり随分と暖かい日があるらしい。

けれども日本全国とはいかないようで北国は豪雪となっている。

暖冬を手放しで喜ぶにはいささか不平等ではないだろうか。



阪神淡路大震災から30年が経った。

あの朝は厳しい冷え込みでどれ程の人々が被災したことだろう。

決して忘れてはならないことだが震災を知らない世代も多くなっている。

失った尊い命はもう二度と返ってこないのだ。




今週は4日しか仕事をしていないのにどっと疲れが襲って来る。

幸い仕事は捗りお客さんに迷惑を掛けずに済んだ。

義父もやれるだけのことをしてくれどれ程助かったことだろう。

明日の新年会はやはり出席するとのこと。もう止めても無駄である。


午後には事務仕事も一段落しており2時に退社した。

疲れが酷くもう限界であった。一刻も早く横になりたくてならない。

3時過ぎには帰宅しておりすぐさま炬燵に潜り込む。

大相撲を観ながら少しうたた寝をしていたようだ。


無気力にまた無気力を重ねるように夕食の支度をしたが

6時半になってやっと娘が帰って来る。

あれこれと食材を買ってきており私の作った物は無駄のようだった。

いっそのこと別所帯にすれば良いと思ったが言い出せはしない。

私の苦労は行き場を失い増々気分が落ち込むばかりである。


このところ低迷が続いており思うように浮上出来ない。

一度落ち込んでしまうと得体の知れない渦に巻き込まれてしまうのだ。


詩や短歌が唯一の救いのように思えたがそれも芳しくはなかった。

ずっと誰かから石を投げられているような気がしてならない。

石が当たれば当然のように痛いのだ。傷だって出来るだろう。

その度に「負けるもんか」と思うのだが実際には負けているようだった。


前途は不安だらけで光が見えない。

私のような者がと自らを貶めるばかりであった。


救いの手を待っていてはいけないのだろう。

自分以外に誰が私を救えるだろうか。


       種

  このままではいけない
  きっと壊れてしまうだろう

  冬の陽射しと冷たい風
  手のひらには一粒の種

  夢のように春を待っている
  その息吹を感じるままに

  土色をしたこころを耕し
  少しの肥糧が必要である

  雨はためらいながら降り
  微かな恵みになろうとする

  分不相応であることは
  哀しみに似ているけれど
  仕打ちであってはならない

  生きるために与えられた種
  失うわけにはいかないだろう

  このままではいけない
  壊れてしまうその前に
  一粒の種を蒔こうとしている


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