ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月05日(日) 記憶

二十四節気の「小寒」今日から寒の入りである。

氷点下の朝。辺り一面に霜が降りていた。

日中は風もなく暖かくなったが午後から雲が広がる。


隣家の山茶花がはらはらと散り始め我が家の庭にも舞い込む。

決して迷惑とは思っていないのだが隣家の身内の人が掃き掃除に来ていた。

奥さんは先月のこと転倒し腰を骨折したそうで入院中だった。

大晦日から正月三日まで一時帰宅をしていたがお見舞いにも行けなかった。

遠方に住む娘さんが里帰りしていたのできっと笑顔で新年を迎えたことだろう。

日頃から独り暮らしで気掛かりなことが多かったが

高齢になると転倒ほど危険なことはないのだと思う。

山茶花、水仙と主なき家の庭にはひっそりと冬の花が健気に咲いている。




長かった冬休みもやっと今日が最後となった。

もう少しの辛抱と今日もひたすら怠惰に過ごす。

初詣も諦め結局何処にも出掛けることはなかったが

よく食べてよく寝てそれも幸せなことだと思いたい。


午後のお昼寝から目覚めやっと先月の日記を読み終える。

それでも読み足らず10年前と20年前の一月の日記を読んでいた。

10年一昔と云うが本当にその通りである。

そこにはまだ生まれて間もないめいちゃんと2歳のあやちゃんが居た。

乳飲み子のめいちゃんを抱っこしてあやす夫の姿もある。

あやちゃんは私とよくお大師堂へ行っておりお菓子を楽しみにしていた。

それは今では考えられないような微笑ましい光景である。

もう遠い思い出になってしまいなんだか胸が切なくてならない。

あやちゃんは何も憶えてはいないだろう。私だけの大切な思い出である。


20年は大昔となり元気溌溂とした私が居た。

今となっては信じられないようなことだがバドミントンに励んでいる。

まだ閉経も迎えておらず情調不安定な時もあったが

まだ女盛りだったのだろう。恋もしていたようだった。

出会いと別れの間で揺れ動く女心が垣間見れる。


全てのことが過ぎ去ったことであるがそうして生きて来た。

もう二度と戻ることのない「記憶」そのものである。

書き残して置かなければどうして思い出すことが出来ただろう。

毎夜の課題だったのだろう。何としても記そうとしている。

それ程までに「書く」ことは大切なことだったのだと思う。


先のことは何も分からな。いつか最後になるのだとしても

一日一日に心を込めて書き続けようと心に誓った。

永遠に続く「明日」など在りはしないが

「今日」ならば確かに在るのだった。

やがては記憶になるが今日の私は「いま」を生きている。


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