2025年01月02日(木) |
二日月(ふつかづき) |
明けてふつか。雲一つない青空となりたっぷりの陽射しであった。
ぽかぽかと暖かくなりまるでささやかな春のようである。
夕暮れ時に一番星を見つけるとそのすぐ傍に二日月が見えた。
新月から二日目の月を「ふつかづき」と呼ぶのだそうだ。
これも無学な私のことで今日まで知らずにいた。
細い月はみな三日月だと思っていたのだ。恥ずかしい限りである。
二日月が見えるのはつかの間の事で今はもう西の空に沈んでしまった。
なんだか貴重な光景を見たようで胸が躍るようである。
例年なら初詣に出掛けているが今年はすっかり諦めていた。
杖なしでも歩けないことはないがお寺の石段などとても無理である。
その上に億劫でならず夫の出不精も重なっていた。
寝正月も良いものだと炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。
覚悟はしていたがやはりE君からスペースの誘いはなかった。
おそらくもう二度と声を聴くこともないだろうと思う。
それ程までに私の失言は繊細なE君の心を傷つけてしまったのだ。
今更後悔しても遅いが顔の見えないネットの世界では有りがちなことだと思う。
ネット歴は長くもう25年を過ぎたが過去にも何度かあったことだ。
どれほど信頼していてもそれは一瞬にして崩れ落ちてしまう。
「去る者は追わず」と強がっていても心を痛めずにはいられなかった。
それは相手も同じ気持ちだろう。憎まれても仕方ないことだと思う。
私はこれまでいったい何を学んで来たのだろう。
いつまで経っても懲りず同じ過ちを繰り返しているようだ。
とにかく必要以上に親しくなってはいけない。
例え縁があっても「儚い縁」であることを思い知るべきだろう。
元旦から少しずつ昨年の日記を読み返しているが
我ながらやたらと長い日記がありすらすらとは読めなかった。
読みながら思い出すことも多く読み流すことが出来ない。
今日はやっと7月分まで読み終えることが出来たが
あやちゃんとのやり取りなど何と心に堪えたことだろう。
この日記をSNSにリンクを貼っていたのを解除した。
「私のことを書かんとってね」とも言われ複雑な思いが交差する。
在りのままを記すことは傷つけることに等しいのだった。
けれども日記である。それはあくまでも真実であるべきではないか。
大きな葛藤があったがそれ以来も私は真実を書き続けている。
それは読んで下さっている人達を心から信頼しているからこそだろう。
そんな人達を裏切るようなことは決して出来ない。
新しい年を迎え穏やかさを噛みしめている。
この先どんな試練が待ち受けていても挫けずにいたいと思う。
私でなければ書けない私の人生が続くことを願って止まない。
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