ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年12月21日(土) 奇跡のような縁

夜明け前まで弱い雨が降っていたが日中は穏やかな晴天となる。

夜になり暴風注意報が発令され明日の朝はまたぐんと冷え込みそうだ。

二十四節気の「冬至」今日を境に明日から少しずつ日が長くなる。

古代には一年の始まりとされていたそうだ。

古代の人類にとって「太陽」は神でもあったのだろう。


「柚子風呂」「南瓜煮」が習いではあるが今年はどちらも無かった。

毎年山里の柚子農家さんが柚子を届けてくれるのだが

今年は土曜日でもあり手にすることが出来なかった。

柚子も不作だったそうで欲しがってもいけないのだろう。

丁度お歳暮で頂いた入浴剤に「柚子の香」がありそれで間に合わす。

寒さ厳しい折である。無病息災となれば越したことはない。




午前8時からまたE君とスペースを開始する。

毎週の恒例となり楽しみな土曜日であった。

それにしても便利な世の中になったものである。

電話だと通話料が発生するがスペースは無料でいくらでも話せる。

一昔前には考えられなかったことだ。

あまり長話をするのでE君の母上が通話料の心配をしていたらしい。

無料だと伝えても高齢者には納得がいかないだろう。

私はパソコンだがE君はスマホなので心配するのが当然である。


今日は途中から埼玉の詩人Kさんも加わり話が弾んだ。

Kさんは私と同年代だそうで落ち着いた声である。

SNSではあまり繋がりを感じることがなかったので

最初は緊張したが話しているうちに打ち解けることが出来る。


E君と二人きりとはいかない。今後も在り得ることだろう。

驚いたのは匿名のリスナーが数人居たことである。

誰なのかは全く分からず「話を聞かれているのか」と思う。

E君も少し戸惑っているように感じたがホストとしての務めを果たした。


もっと驚いたのはE君が豊中に住んでいることだった。

大阪豊中市は私にとってとても縁深い土地である。

ネットを始めたのは25年程前だが「たくちゃん」と知り合った。

掲示板やメールのやり取りも多くすっかり仲良くなったのだった。

たくちゃんはやがて結婚し3人の子供の父親になる。

その頃からメールが途絶え今ではもう音信不通になっている。


「けいちゃん」と知り合ったのは20年程前だが

なんと私の息子と同い年で某大学の大学院生だった。

精神的に不安定な病を抱えており少しでも支えになりたいと思う。

そんな彼も大学院を卒業し教職の道を歩むことになった。

もう私の役目は終わったのだと思い遠ざかる決心をする。

最後に手紙が届いたが私は返事を出すことをしなかった。

教職を続けているのか定かではないがきっと元気にしていることだろう。


そんな「たくちゃん」も「けいちゃん」も大阪豊中の人だったのだ。

その上にE君が重なり私は豊中に拘らずにいられない。

前世からの繋がりだとしたらなんだか奇跡ではないかと思う。

それ程までに「豊中」は縁深い土地だったのだろう。


ネットの世界は通りすがりも多いが魂の出会いもあるものだ。

顔が見えないからこそ魂が見えると云っても過言ではないだろう。

そこには確かな波長があり糸のように引き合う縁がある。

縁があっても去る人は去る。それも宿命なのではないだろうか。


E君とはまたこれから何度でも話すことが出来る。

私はそうして冥途の土産を頂いているのかもしれない。


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