2024年11月08日(金) |
出来ることしか出来ない |
今朝も初冬らしい冷え込み。きりりっとした寒さが心地よい。
日中は20℃程で暑からず寒からずの快適な気温だった。
一年中こんな気候ならばと思ったがそれでは季節がなくなる。
春には春の花が咲き。夏の花。秋の花。冬には冬の花を咲かせてやりたい。
人は暑さに耐え寒さに耐える。そうして逞しくなっていくのだろう。
ゆるりと仕事。心配していた義父はすっかり元気になっていた。
お昼過ぎに車検が一台完了し今週の仕事が一段落する。
厄介な一般整備は後を絶たず義父が一人で頑張っていた。
同僚では手に負えずどれほど助かることだろうか。
「何としても直すぞ」その意気込みには頭が下がる思いである。
そうして顧客との信頼を強めていく「商売」とはそう云うものだろう。
内科の薬がもう少しで切れるため掛かりつけの病院へ行く。
2時に仕事を終わらせてもらって早めに向かった。
薬は2ヶ月分処方されるため次回はもう来年である。
薬漬けではあるがあっという間の一年だった。
血圧も不安症も落ち着いていて何よりである。
ただ酷く咳き込むのは一向に治らずもう医師に相談も出来ない。
自業自得なので仕方ないが夜中の咳にはすっかり参っている。
煙草さえ止められたらと思うがずるずると吸い続けるばかりだった。
自分で自分の首を絞めているのだからもうどうしようもない。
来年では遅すぎるかなと思いインフルエンザの予防接種もした。
ちくりと痛い。これでは子供が泣くはずだと思った。
看護師さんも今年は特に痛いような気がすると言い笑い合う。
病院の職員は皆早めに接種を済ませているのだそうだ。
買い物を済ませ4時過ぎに帰宅した。
途中からであったが「破れ奉行」を見る。
何だかラストがいつもと違うなと思ったら最終回だったようだ。
もう来週からは見れないと思うと残念だったが爽快な気分でもある。
今の時代にはこれほどの面白い時代劇などなかった。
「てめえらを斬る」忘れられないセリフとなる。
今は悪人で溢れ返っている世の中だった。誰も斬り捨てることなど出来ない。
娘は残業だったらしく6時半に帰宅する。
娘婿と孫達は先に夕食を食べ始めていた。
相変わらずの献立なのに喜んで食べてくれて何と嬉しいことだろう。
娘も「お腹が空いた」と言って直ぐにテーブルに付いていた。
出来ることしか出来ない。それ以上もそれ以下もなかった。
毎日試されているのかも知れないが在りのままを貫いている。
その上に日々の心細さは増しこの先どうなるのかと思う。
私が突然に死んでしまったら夕食は誰が作るのだろう。
そんな事を考えていると途方に暮れてしまうのだった。
必要とされているのならとことん生きなければならない。
死ぬわけにはいかないのだと強く思った。
失うことは容易いことだろうか。目も耳も足も在る。
何よりも「こころ」が在り精一杯の「いのち」が在るのだった。
|