霜月は雨で始まる。朝のうちは小雨であったが次第に本降りとなった。
台風21号が秋雨前線を刺激しているのだそうだ。
明日には熱帯低気圧に変わりそうだが強い雨に用心しなければならない。
豪雨災害が多かった年だけに誰しも不安な気持ちになることだろう。
今朝は義父の飼っているメダカの水槽に再びホテイアオイが咲いていた。
夏の花であるが調べてみたら越冬することもあるらしい。
水もだんだんと冷たくなる季節に咲けば奇跡にしか思えなかった。
「よしよし」と声を掛けながら義父がメダカに餌を与えている。
猫と同じく家族同然なのだろう。とても穏やかな顔をしていた。
工場の仕事は連休前のせいか車検の車は入庫しておらず
厄介な一般修理の車が3台とトラクターの修理であった。
義父が故障の原因を究明し同僚に手解きする手順である。
病院ならば院長先生のようなものだ。義父の診立ては完璧であった。
事務仕事は月末の締めを終わらすと特に急ぎの仕事もなく
午後はついダラダラとしてしまい生欠伸が出る。
早目に帰宅し横になりたくてたまらなかったが
今日は整形外科のリハビリのある日だった。
毎週木曜日だが予約が取れず今日になってしまったのだ。
雨がけっこう降っていたのでもしやと思い早目に出掛ける。
やはり思った通りでキャンセルが出ており直ぐに順番が来た。
高齢者が多いので雨の日の通院を諦めてしまうのだろう。
今日はリハビリ後に診察もあったのでラッキーとしか云いようがない。
おかげでいつもよりもずっと早く4時半には帰宅出来ていた。
「破れ奉行」は諦め自室で10分程煙草を吸ってから茶の間に行く。
山のような洗濯物を畳んでいたらもう5時になっていた。
夕食の支度をしなければならずあたふたと忙しい。
整形外科で医師から「どうした?いつもの元気がないぞ」と言われた。
金曜日はいつもそうなのだ。もうすっかり燃え尽きている。
来月には68歳である。体力に限界があって当然ではないだろうか。
70歳にはまだ2年あるがいったいいつまで仕事をするのかと思う。
あと10年とすればもうよぼよぼのお婆さんであった。
母がそうであったように私も仕事をしながら生涯を終える運命かもしれない。
気力が弱っているせいかなんだか虚しくてならなかった。
仕事は決して嫌いではないはずなのにどうしたことだろう。
何事も始めれば終るのだがそのゴールが全く見えない。
走ることは出来ないが杖を付きながらとぼとぼと歩き続けている。
「ああいい人生だったな」そんなゴールが望みだった。
こうして書き残すこともまた私の「歩み」になることだろう。
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