薄曇りの空。風が無かったせいか蒸し暑さを感じた。
すっきりと秋らしい気温になるのはいつのことだろう。
待ち侘びていた秋桜が咲き始めた。
まだ一輪二輪だが嬉しくてならない。
昨日は気づかなかったのだ。秋桜に申し訳ない。
背高泡立ち草も三角の帽子が黄色くなり始めている。
「ブタ草」とも呼ばれ嫌う人が多いが私は好きであった。
花に何の罪があるのだろう。外来種の駆除対象になっているようだ。
いったいいつ頃日本に渡って来たのだろう。
子供の頃には全く見た記憶がなかった。
朝のうちにお供え物などを買いその足で山里へ向かう。
義父も居てくれたが伯母が手伝いに来てくれ大いに助かる。
「お団子」を作って持って来てくれたのだ。
法事には欠かせないものなので伯母の心遣いが身に沁みる。
併修なので母と義祖母の遺影と位牌を飾る。
なんだか母の顔が歪んでいるように見えたのは気のせいだろうか。
義祖母はおっとりとした優しい人であったが
母とは折り合いが悪くしょっちゅういざこざが絶えなかったのだ。
母が義祖母を虐めるのである。荒々しい声で怒鳴ることもあった。
特に義祖母が寝たきりになってからの母の態度は目に余る程だった。
優しさには優しさが返って来ると云うが母は最期まで冷酷を貫く。
いったい何が母をそうさせたのだろうと未だに理解出来ない。
そんな二人の併修である。母の機嫌が良いわけはなかった。
けれども共にあの世で暮らせば心が通じ合うこともあるだろう。
そう思わなければ救われないような気持になった。
2時間程で準備を終え帰宅した。後は明日の法事を待つだけである。
それにしてもこの一年のなんと早かったことだろう。
母の遺品の整理もせずほったらかしのままである。
忙しさのせいにしているがそれが私の薄情さでもあるだろう。
ゆっくりと母と向き合うことをしなかった一年でもある。
午後は少しお昼寝をしてから短歌を一首だけ書いた。
やはり書きたい時に書くのが一番のようだ。
SNSで「#短歌写真部」とハッシュタグを付けて発信すれば
自動的に「NHK短歌」に投稿したことになる仕組みになっている。
つい最近まで知らなかったが何事も試してみなければと思った。
溺れる者は藁をもつかむ。まさにその諺通りである。
朝から出掛けていた娘達がやっと帰って来たようだ。
何処に行くとも教えてはくれなかったので心配していたところである。
いつも留守番のあやちゃんが不憫でならないが
大きなお世話の老婆心に他ならないだろう。
とにかく一切の干渉を断つこと。それが我が家の掟であった。
最初のうちは寂しさを感じたが今ではもうすっかり慣れてしまった。
家族のようで家族ではない。それぞれの暮らしを楯に今夜も更けていく。
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