晴れたり曇ったり。相変わらずの厳しい残暑であった。
明日から明後日に掛けては雨になりそうだ。
台風が南の海上を北上しているせいなのかもしれない。
そのせいか九州北部では9月とは思えない猛暑となったようだ。
37℃を超え体温を超えるような危険な暑さである。
職場の百日紅は殆ど散ってしまったが
大きな樹ともなるとそのぶん生命力が強いのだろう。
まだ鮮やかに咲いている樹をあちらこちらで見かける。
「百日」と云われているがおそらくもう過ぎているのではと思う。
紅だけではなく白い花もありそのコントラストは見事であった。
彼岸の入りも近くなり例年なら彼岸花が咲き始める頃だが
今年は暑さのせいだろうかまだ見ることが出来ない。
昔はお墓の近くによく咲いていた。根に毒があるので
遺体を野生動物から守るための知恵だったのだろう。
血を吸って紅くなる「死人花」とも呼ばれていたのはそのせいである。
子供の頃には触れてはならない怖い花であったが
そう教えてくた祖母が亡くなった時に「紅い道」を目にしたのだった。
その記憶があまりにも鮮やかで彼岸花を見ると祖母を思い出すようになった。
今年も命日が近くなった。あの「紅い道」はきっと今もあるだろう。
義父が精力的に動いてくれたおかげで仕事が大いに捗る。
例の大口の入金は来週早々には振り込まれるようだ。
もう思い悩むこともない。どれほど助かることだろうか。
溺れる者は藁をもつかむと云うが溺れる寸前で救助されたのである。
同僚が通院のため早退。私も少し早めに退社した。
ラジオからは山口百恵の「秋桜」が流れていたが
カラオケの十八番だったのはいつの事かもう歌うことも出来なかった。
それがなんだか情けなくて秋桜を聴きながら目頭が熱くなる。
同時にもう母がこの世にいないことをしみじみと感じた。
買い物を済ませ4時前に帰宅。直ぐに二階の自室に籠る。
制限時間は30分であったが今日は15分で短歌が書けた。
相変わらず良し悪しは分からないが自分では満足である。
さらりっと書けた時はいつもそうでなんとも心地よいのだった。
考えれば考えるほど書けなくなる。それは詩も同じである。
ようするに「発作」なのだろう。これは私の持病かもしれない。
親子雲寄り添う空に名残り陽が初秋を告げて後を追う風
ボート部の一年生かぎこちなく四万十下る川面光らせ
目に映る風景だけが頼りなり詠み人になる老いた我が身も
三首目の通り目に映る風景だけが頼りだった。
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