ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月22日(木) 夏が退こうとする日

二十四節気の「処暑」暑さが和らぎ秋の気配を感じる頃。

ゆっくりと少しずつである。それは退くようにだ。

若い頃「処暑」と云う詩を書いたことがあったが

それは夏をある人に置き換えて書いてあった。

別れの予感がしていたのだろう。切なくてならなかったことを憶えている。

もう二度と書けない。あの頃のような感性は永遠に消え去ってしまった。

生まれ変わっても私は詩を書いているのだろうかと思う。

魂が現世を忘れてしまうわけがない。心を失うわけにはいかないのだ。



疲れのピークなのだろう。朝から気分が沈んでならなかった。

SNSでは毎朝必ず声を掛けてくれる人がいるのだが

社交辞令的な朝の挨拶が日に日に億劫になってしまった。

今朝はもう限界を感じ正直に自分の気持ちを伝える。

配慮をお願いしたつもりだったが上手く伝わらなかったようだ。

直ぐに返信がありまるで縁が切れるような口ぶりであった。

毎朝でならない理由はいったい何だったのだろうと思う。

どれ程気忙しい朝でも丁寧に返信して来たつもりだった。

けれどもそれが段々と重荷になり私の義務になってしまったのだ。

顔の見えない世界である。言葉だけで成り立っているのかもしれない。

正直に話せば相手を傷つけることもあるのだろう。

去る者は追わない主義であるがそれで切れてしまうような縁ではない。

傷つけることも傷つくことも表裏一体のように思う。





仕事は相変わらずの忙しさであったが週一のリハビリがある日で

3時前に退社し整形外科へと向かった。

湿布かぶれになってしまいここ数日湿布が貼れないせいか

昨夜も就寝中に酷く痛み辛くてならなかった。

杖に頼らずとも歩けるようになっていたのも困難となり

また元の木阿弥になってしまっている。

医師に相談したがやはりかぶれの治療が先決とのこと。

しばらくは痛みに耐えながら過ごすしかないようだ。

「なんのこれしき」である。嘆いても何も変わりはしない。

幸いリハビリの効果は大きく帰りは随分と楽になっていた。


5時前に帰宅。洗濯物を畳み終えて10分程横になれた。

もう短歌どころではない。「いっぱいいっぱい」なのだ。

もしかしたらそれも義務なのかと思ったがそうではない。

詩も短歌も書きたくて書いている。私にとっては大切なことだ。


夕食後一首だけ書いた。後はこれから書こうと思っている。

まるで眠る前の儀式のようだ。そうして一日を全うしようとしている。


もしかしたら待ってくれている人がいるのかもしれない。


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