ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月07日(水) 秋隣(あきとなり)

二十四節気の「立秋」暦の上ではもう秋である。

けれども何処吹く風と今日も猛暑日となった。

おそらく処暑までは厳しい残暑が続くことだろう。


私は夏の退くさまがなんとなく好きである。

それはどの季節にも云えることだが

潔く去って行く季節などありはしないのだ。


燃え尽きたように去る夏。寄り添うように訪れる秋。

そんな「別れ」の光景にはつい感傷的になってしまうものだ。




早朝から義父は高知市へ。今日は搬送車の修理の為だった。

これまでも故障はあって部品を注文しては自分で直していたのだが

今回は複雑な部分らしく専門店へ出向くしかなかったようだ。

搬送車はもちろん会社でも使用するが殆どが農機具の搬送に使っている。

稲刈りを目前に控えどれ程困惑したことだろう。


困ったのはエアコンも故障していることだった。

灯台下暗しではないがお客さん優先で後回しになってしまっていた。

早朝に出掛けたが日中の猛暑にはさすがに参ったらしく

「暑うてたまらんぞ」と泣きそうな声で電話が掛かって来た。


なんとか無事に専門店へ辿り着いたがしばらく預けなければならず

仕方なく列車を利用して帰って来たようだ。

夕方の電話では「稲刈りが出来んぞ」と嘆きまくっていた。

憐れでならないがこればかりはどうしようもないことである。

大手は10日から一週間盆休みなのだそうだ。

部品は入っても修理は再来週からになるだろう。

義父の気が鎮まってくれれば良いが先が思い遣られるばかりである。


午後、身体の怠さと眠気が酷く2時に退社した。

自販機で缶コーヒーを買い煙草を吸いながら帰る。

まだ水曜日なのに明日は大丈夫なのかと不安になった。

買い物を済ませ帰宅するなり横になったのだが

夫が「八丁堀の七人」を見始めて一緒に見ることにした。

最終回だったようだ。どの番組も最終回はなかなかよろしい。



夕食後、夕陽を仰ぎつつ短歌を二首書く。

短歌の場合は「詠む」が正解らしいが

なんだか私には相応しくないように思えてならない。

「かっこつけるんじゃない」歌人でもないくせにと思う。

詩もそうだが一生掛かっても認められることはないだろう。


「秋隣風の噂も聞きそびれきみ棲む街に夕陽が落ちる」

短歌には季語は必要ないのだが「秋隣」と云う言葉が好きだった。

「あきとなり」これは立秋前の夏の季語であるらしい。

けれども立秋に相応しく思えてならなかった。


隣に秋がいるのだ。そう思うだけでほっとする。

終らない夏はないがすべてのことがいつかは終るのだろう。






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