ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年08月03日(土) 穴の開いていない5円玉

夕方にはにわか雨の予報だったが一向に降らず

辺り一面が熱にうなされているような黄昏時となった。

今日も猛暑。江川崎では39.8℃を記録し日本一の暑さだったようだ。

旧西土佐村で私が生まれ育った地域ではあるが

子供の頃の夏の記憶に「暑さ」の辛さは少しも残ってはいない。

四万十川がプールであった。川遊びのなんと楽しかったことか。

駅前の駄菓子屋さんで一本5円のアイスキャンデーを買って食べたこと。

その頃には穴の開いていない5円玉があって

母の財布から失敬したことがある。てっきり10円玉だと思っていた。

オレンジとメロンのアイスキャンデーが2本食べられるのだ。

喜び勇んで買いに行ったら駄菓子屋のおじさんが売ってくれない。

「一本だけだよ」と苦笑いをするのだった。

その時の恥ずかしかったことを今でもはっきりと憶えている。

子供心にもう二度と母の財布から盗んではいけないのだと思った。





工場の忙しさが気になりつつもお休みを頂いていた。

案の定電話が何度も掛かってくる。義父から3回、同僚からも3回。

お客さんからも5回あり対応に追われる。

無理をしてでも行けば良かったのだがもう後の祭りであった。


義父は今日もエアコンの修理でさすがに参っている様子だった。

「このままじゃ田んぼに行けない」と嘆くばかりである。

今朝の新聞に熱中症で亡くなった高齢者の記事が出ていて

その話もしたのだが「そうなったら運命じゃ」と言い放つ。

その人も田んぼで倒れているのを家族が発見したのだそうだ。

昨日のこともあり「今日は田んぼは諦めたや」と言い聞かす。

義父の口調は荒く苛立ちがひしひしと伝わって来た。

「明日は日曜日やけん仕事はせんぞ」と言うので

「そうそう、明日かあるやんか」やっとそれで落ち着いたのだった。


同僚は午後から出勤して来てくれたが車検整備に追われていた。

そんな最中にパンク修理の依頼が舞い込む。

村でもほぼ土佐清水市に近い人里離れたポツンと一軒家であった。

女性のお客さんで困り果てておりどうして断ることが出来よう。

同僚に相談しても一つ返事ではいかなかった。

なんとか宥めしぶしぶではあったが出張修理に行ってくれほっとする。

3時頃に無事に終えたと連絡があり「ご苦労様」と労った。

僅かな売り上げではあるが人助けも仕事である。

誠心誠意尽くすことが今後の仕事に繋がるのだと信じて止まない。



そんなこんなで昼寝どころではなかったが一時間程眠れただろうか。

気が張っており未だに緊張感が漂っている。


土佐清水市では「あしずり祭り」が開催されており

お祭り会場でめいちゃんがダンスを披露したようだ。

相変わらず娘は何も言ってくれずめいちゃんから教えてもらう。

この暑さでは観に行くことも出来なかったけれど

「寂しいもんやね」と夫と語り合った。

もうすぐ同居してから10年になろうとしているが

歳月が流れるほど「家族」ではなくなっているような気がしてならない。

一家の主であるはずの夫の影も随分と薄くなった。

「なるようになるろう」夫と慰め合う老夫婦であった。


10年が20年になるとは考えられず娘達次第であるが

「いつまでも一緒にはいない」と言われた日が遠ざかって行く。


誰にも分からない未来がもどかしく不安でもあった。


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